監獄(刑務所)のことも考えて下さい、とりわけ「医療」について 

中川孝志(元・山谷悪質業者追放現場闘争委員会)

今晩は、中川と言います。まず自己紹介からします。生まれは1949年です。今年61歳です。北海道生まれです。山岡強一さんも北海道生まれでした、私 は1968年に北海道から広島の大学行ったんですけども。で、その半年後には山谷にいたんですね。68年の11月に初めて山谷に行きました。この映画の監 督の山岡さんとは72年からの付き合いなんですけども、その前に船本洲治っていう名前はご存じかどうかわかりませんけれど、1975年に沖縄の嘉手納基地 で自決した船本洲治。それから次の年、1976年に大阪の拘置所で殺された鈴木国男。広島大学から山谷で活動をしていた数人のグループがいるんですけど も、私は一番若かったけど、そのグループの一員でした。船本、鈴木も死んでしまいましたし、残っているのはわずかです。一人広島に、わりと東京によく出て 来るんですけども中山さんという方がおりまして。彼も同じ大学です。

本当にわずかな仮釈放
今日は山谷の事ではなくて刑務所の話をぜひ知ってもらいたいと思いまして、この場を用意してもらいました。資料をお渡ししましたけれど、その前に簡単に 言いますと今無期刑囚というのが、これは2008年段階の統計ですけども1,711人おります。その内、この10年間の統計なんですけれども、仮釈放に なった人数が68人になってますね。これは平成11年、つまり1999年から2008年の間の10年間の統計なんですけれども。68人が仮釈放になりまし たが、しかし同じ時期に獄死した人間が121人になってます。数年前にいわゆる刑法改正で有期刑の上限が30年になったんですね。そうすると30年という 有期刑があって無期刑囚がいるという事は、30年を過ぎなければ、無期刑囚は仮釈放になるという事はないというような状態なんですね。実際問題としてこの 数年間みても仮釈になって出てきてる人は数名です。仮釈になる可能性っていうのは本当にわずかなものでしかないという状態が続いてます。その統計をとった 前の日にも無期刑を宣告された人がいますから、無期刑一年目っていう人を含めてですけども、1,711人の人数の中で20年以上というのが400人もおり ます。ですから年齢的には、20年以上いるということは、多くは60代をもう超えてるような年齢ですね。これから考えても、ほとんどの人が獄死せざるをえ ないような状況であるというのが今の実態なわけですね。

厳正独居13年間の磯江洋一さん
その中で、具体的な例として磯江洋一さんという、今旭川刑務所にいる方がいます。彼は1979年に、山谷のマンモス交番の警察官を刺殺したという事で 1981年から旭川刑務所にいます。今年で受刑生活は29年目になります。その彼の事を若干話をしたいと思います。磯江洋一さんは、逮捕されて以降徹底し て反権力と言いますか、例えば東京拘置所にいる間でも例えば一か月間の断食闘争をやるとか、徹底的な反権力闘争を獄中においてやってきたわけですけども。 その彼は旭川に入って以降13年数か月の間「厳正独居」という処遇にあってきました。「厳正独居」というのは簡単に言えば、刑務所に入った段階で処遇が分 けられるわけです。雑居房に入る人、それから労役で工場には出るけども夜間になって独居に行く人、それからもう一つは昼も夜も独居房にいる人というふうに 分類されるんですね。いわゆる「昼夜間独居」と言ってますけども、「厳正独居」というのは、言ってみればずうっと懲罰を掛けられているというに等しい処遇 です。
実は私も1984年から86年の間府中刑務所におりまして、その半分は「厳正独居」という処遇でした。残り半分は工場に出ましたけど。それで「厳正独 居」、昼夜間独居がどういうものであるかは身に染みてわかっているつもりです。一日中口をきくという機会はないですね。唯一、看守と一言二言言葉を交わす 機会があるかどうかというような事です。ほとんど、例えば運動の時間もそれから風呂に入る時も全て一人というのが昼夜間独居で、ずうっと部屋にこもりっぱ なしで一人で作業をしている。府中では、私がいた頃には東芝の買物袋、紙袋を作る作業でした。それをずうっとやり続けるわけですね。ほとんど口をきく機会 がない。私の例で言えば、半年経って工場に出ることが出来ましたが、その時には解放感といいますか、それは人の動きが見えるとか、休み時間に同じ工場の人 間と話しが出来るとかいうような事がすごい解放感でした。そういう意味で言えば、昼夜間独居というのは非常に懲罰的な意味が大きいという事です。工場の中 で、例えば看守に対して何か逆らったりすると、懲罰にならなくても「厳正独居にするぞ」という事が脅しになるわけですよね。そういうような処遇です。
その処遇を磯江さんは13年間掛けられていました。それで裁判を起こしたんですね。「厳正独居処遇」は基本的人権を無視した憲法違反であると。結果的に は負けましたけども、判決が出る前に工場に出る事が出来ました。当局は、裁判の結果を恐れたのだと思います。しかし13年間の「厳正独居」っていうのは、 全く特殊でもないんですね。ずうっと「厳正独居」にいる人もいる。それはいわゆる工場に出て、当局の言い分としては、「集団生活に馴染まない」という言い 方をするわけですけれどもね。しかしながら、その馴染まないどころが馴染むようにするのが刑務所の役割なはずなんですね、社会復帰する為に。だけど、そう いう道を実際には閉ざしているというのが現実の姿です。
磯江さんは今年で66歳になります。この間はずうっと腰痛、腰だけではなくてずうっと足の方に痺れがきてるという事で、運動が全く出来ないような状態で す。運動場は、一周200メートル位のがあるんですけども、それを一周する位で足や腰が痛くなって動けなくなるというような状態なんですね。それに加えて 「過敏性腸症候群」という、かなり神経的な問題も大きくあるんですけれど、ようするに腸の病気です。排便が非常に苦しい。下痢と便秘の繰り返しみたいなも のですよね。それをずうっと繰り返しているというので、健康面がかなり悪い状態にあります。それで私はなんとかして刑務所で必要な治療を受けられるように する、それにはどうしたらいいのかというのを追求したいという気持ちでいます。
お配りしたビラに書いてあるとおり、去年やっと6月6日に「6・9決起 30年」という集会をやりました。130人位の方に来て頂いて、これは予想を上 回る数でした。集会のサブタイトルは「寄せ場・監獄・貧困を考える」としました。寄せ場と監獄、それから貧困という問題は、ずうっと結びついてあるわけで す。刑務所の問題、監獄の問題というのは入った人間でなければなかなか関心を持てないでしょう。実際に本当に少数、非常にマイナーな問題です。しかし、人 の命に関わる問題ですから、これは社会的な問題に関心を持つ人はぜひとも関心を持って頂きたいと思ってます。ちなみに誰が言ったかわかりませんけども「監 獄の姿がその時代の社会の姿を映し出している」というような言葉があるわけです。監獄の状態が悪いという事は人間を大切にしない社会の在り方につながる事 だと思います。磯江さんに関しては、なんとか実際に治療が受けられるような処遇を勝ち取るにはどうしたらいいかという事で、少しでも実態を知って頂きたい というような事で話しました。
磯江さんは、仮釈放というのは権力の恩恵にすがるものであるとして、それを「拒否する」という考えに立っています。「仮釈放」の具体的な要件として、事件 に対する反省であるというのがまず第一の条件になります。それから次ぎに受刑生活が模範囚でなければいけないという条件があります。これは、刑務所の秩序 に従順であれ、ということです。加えて出所した時に住みかがある、仕事もあるという状態でなければ仮釈放の条件にはならないわけです。最初の、自分が起こ した事件を反省するという事がまず第一の要件ですから、磯江さんはそれに対しては「そのようにするつもりはない」という考えです。彼は「自分は仮釈放は拒 否する」というような姿勢を貫いています。

命が危険でも「刑の執行停止」はせず――丸岡修さん
それからもう一人、これは本当に命の危険にある人についてお話します。もう一枚のチラシを見て下さい。宮城刑務所の丸岡修さんという人です。彼は旧日本 赤軍で二件のハイジャックをやったという事で1987年に国内で、日本で逮捕されました。逮捕されてからしばらく東京拘置所にいたわけですけれど、その時 に肺炎にかかりましてその時の治療が非常にまずくて、東京拘置所で二週間近く本当に生死の境をさまようような状態になりました。意識が全くないような状態 で、その時には毎日弁護士に行ってもらいました。その後宮城刑務所に移監されて、今現在「拡張型心筋症」という、これはいわゆる難病指定されている病気な んですが、非常に危険な状態であります。「拡張型心筋症」というのは、とにかく心臓を移植するか、人工心臓を付けるしかやりようがないんですね。必ず、 徐々に悪くなるしかないという病気なんです。それに対して丸岡さんの弁護団は今年の3月、「刑の執行停止」の申し入れ、つまり刑務所にいるという状態に耐 えられる病状ではないというので、「刑の執行を停止してしかるべく入院治療させよ」というような申し入れをしました。今年の3月にやったのが4回目です。 全て検事からそれを拒否されました。「拡張型心筋症」、「循環器系」の専門医が4人、病状のデータを読んでもらって、その4人の医者いずれもが「速やかな 入院治療が必要である」という診断を下しています。加えてその中の一人の医師の病院に「入院する事を許可する」という、入院して頂いてかまいませんという ような承諾書ももらっています。それにもかかわらず検察はそれを拒否してきたという事は、遠からず内に死んでもよろしいという事と同じであると思っていま す。
その執行停止の申し入れを4回も拒否されて、その後に今年の6月ですけれども裁判を起こしました。二つあります。一つは「義務付け訴訟」と言うんですけ れども。内容は「執行停止を速やかにさせよ」と。そのようにする義務が管理側、つまり刑務所側それから検察側にはあるというのが一つ。それからもう一つは それに加えて「国賠訴訟」です。このような病状が悪化したのは刑務所側が十分な治療をしてこなかったという事であるから、それに対し、国家賠償を請求する というような訴訟を提起したんです。ところがその提起してから二週間位経って、最初の「義務付け訴訟」、入院治療させよという方は門前払いになりました。 今「国賠訴訟」だけは続けてはいるんですけれど、目的は入院治療を実現させることです。いかに命を生き延びさせるかという事ですから、そういう意味で言え ば今現在法的な手段として「刑の執行停止」を実現するという道はほぼ閉ざされてしまったという状態です。それに対してとにかく何が他に出来るんだろうかと いうと、ひとつは政治力を使う。あるいはマスコミ、つまり世論にどれだけ訴えるかという事しかない。あと、国際世論としてはアムネスティに緊急行動提起を してもらうというような道がありますけれども、それは今準備しています。
とにかく「刑の執行停止」というのは非常にハードルが高くて、今までの例から言ってもほとんど、例えばガンで余命何か月というふうに宣告されたというよ うな事でほぼもう死ぬのがわかってるという状態でなければ「刑の執行停止」をしないというのが、実際の今までの姿です。医者の能力も必要な設備もない、現 在の刑務所の医療では遠からず命が失われるという状態に対して、必要な医師と設備のある外部病院で治療させよ、という当たり前の要求に対し、それをしない という理由がいったいどこにあるんだろうかという事です。「刑の執行停止」という基準そのものを法務省、検察がどのように考えているのかという事を明らか にしなければいけないと思ってます。これからがギリギリの勝負であると思います。ガンの余命何か月というのと違って「拡張型心筋症」というのは、それこそ 極端に言えば明日病状が急変して死ぬかもわからないというような状態なわけです。丸岡さんは本当に日々命の危険の中にいるのです。

些細なことで仮釈放の条件を剥奪――泉水博さん
それからもう一人、岐阜刑務所にいる泉水博さんという名前はご存じでしょうか。今、私が持ってきた本は、もう亡くなりましたけど松下竜一さんという九州 の作家の方が書いた『怒りていう、逃亡には非ず―日本赤軍コマンド泉水博の流転-』という本です。これは河出書房新社から出ています。1977年に日本赤 軍のダッカ闘争というのがありまして、泉水さんはその時に指名されて、彼は航空機の中で人質になってる人が、自分が行く事によって助かるのであれば行きま しょうという事で行ったわけですね。その11年後、1988年にフィリピンで逮捕されました。1988年以降岐阜刑務所におります。そのずっと前の話なん ですけども、泉水さんという人は1960年頃に、ヤクザまがいの事をやってた事があるんですね。その仲間と共謀して、中身は具体的にはこれ読んで頂ければ わかるんですけども。強盗殺人という事で、彼自身が手を掛けたわけじゃないんですけども、共謀したという事で1964年ころに無期刑に処せられた人なんで す。その彼が確か1974年ころだったと思いますが、千葉刑務所にいた時に、もうあと一年経てば仮釈放になるという事が言い渡されていたんですね。ところ が雑居房の中の仲間が重い病にかかっていて、何とかその仲間に治療を受けさせたいと言ったんだけども、刑務所側に拒否され続けたんです。彼は、その同囚を 助けんが為に、助けたいという一心で看守を人質にして「治療を受けさせよ」という事をやっちゃったんですよね。それが74年か75年だと思います。あと一 年経てば仮釈放になっていたのです。私は、彼がその千葉刑務所で決起した時の裁判に行った記憶あります。それで看守に対する暴行で二年半くらった。それで 旭川刑務所に行ったんですよ。
そして、1977年のダッカ闘争で奪還の指名を受けて、いわゆる「超法規的処置」によって、アラブに行ったという人なんですね。通算してみたら、 1960年位に逮捕されて、1977年まで、それから1987年から今現在までという事で、人生の三分の二は刑務所暮らしをしてるという事ですね。非常に 「義侠心」に厚い人で、仲間を大切にする人だと思います。今泉水さんは無期囚で、年齢は72歳か73歳ですね。幸いな事に健康なんです。しばらく前から受 刑者に対する面会が緩和されまして、手紙も誰にも書けるんですね。面会は制限がありますけれど。昔は親族か弁護士、身柄引受人しか会えなかったんですね。 それがまあ会えるようになって。今岐阜刑務所にいて、岐阜に支援の何人かの人がおりますので、月に一回二回は面会に行ってもらっていて、非常にこう意気盛 ん、元気なんですね。それはまあ嬉しいんですけども。
ただ問題は、彼は無期囚であるわけです。そしてもう一つ、フィリピンで逮捕された時に「旅券法違反」がありまして、これが二年なんですね。二つの刑を 持っている場合一般的には長い方からやるという決まりがあるんですよ。例えば10年と3年があったら、10年をやってから3年に移るというような決まりが ある。ところが泉水さんは無期囚ですから、無期と二年なんですね。現在、無期刑で服役しています。そして二年の刑が残っているわけです。この二年の刑が 残っているうちはいつまでたっても仮釈放の条件が出てこないんです。それで今、当面の一番の獲得目標としては「刑の順序変更」といいますが、つまり現在無 期刑をやってるけれども、二年の刑を先にやること。それを済ませて、それから無期刑に返っていく。これをなんとかしないうちは「仮釈」は話にならないとい う状態なんですね。加えて、岐阜刑務所だけではないんですけれども、受刑生活の中で一年間懲罰にあわなければ、「無事故賞」と言う――「懲罰」になるのを 「事故」と言うんです。「無事故賞」というのは、一年なら一本というふうに言うんですけれども、それが「無事故賞」5本無ければ、つまり、5年間「懲罰」 にならなければ、岐阜刑務所の内規として「刑の順変」もしないし、もちろん仮釈対象にもならない。これはどういう法律に基づいているかを問えば、おそらく 何もないと思うんですが。
それで彼は三年間三本の「無事故賞」を持っていたんですね。それがほんのちょっとした事で、まったく些細なことで、懲罰になってしまいました。それで三 年間続いてきた「無事故賞」を?脱されてしまったのです。懲罰では、だいたい一週間とか10日の「軽塀禁」をくらうわけです。加えて「無事故賞」の剥奪で す。これは考えてみたら、3年間の刑が加算されたと同じ事なんです。それがなければ仮釈放の対象になりえたのに、その一言で「無事故賞」が全て剥奪されて しまった。そんな理不尽な事があるのかというような事で、彼は気持ちとしては裁判に訴えたいと考えています。もっともなことだと思います。これはもう自分 の問題だけではなくて、そのように苦しんでいる人間がたくさんいるという事で、なんとかこういった実態を明らかにしたいという事で裁判に訴えたいというふ うな事を今現在言っております。私としては今の泉水さんの「刑の順序変更」これをなんとかしてやりたいと考えています。この権限を持ってるのは検事なんで すね、担当検事は岐阜地方検察庁の検事です。その検事が「うん」と言えばいいだけの話なんです。それをとにかくやりたいという事、私の強い想いです。

徳島刑務所の暴動――肛門に指を突っ込む医者の蛮行
それから話を戻しますけれども、さっきの丸岡さんのことです。刑務所の管轄は法務省ですよね。法務省矯正局です。医療もすべてそうなんです。ですから今 弁護士会なんかが要求しているのは、改正の一つの方法として医療は厚生労働省に移せということです。受刑者の医療を、ちゃんと医者の立場としてみる為には 厚生労働省に移さなければ駄目であると。法務省っていうのは、いかに受刑者を管理するかという事が中心課題であり、すべてがそこを中心に回っているわけで す。そういう所だから、刑務所医療が医療の名に値するものではないわけです。実際に磯江さんの例で言っても、診察の申し込みをする。それも毎回出来るわけ じゃないですね。その前に看護助手というのがいて、医者にまで辿り着けないわけですね。なんとか辿り着いたとしても、彼の手紙に書いてあるんですけれど も、医者は一言も口をきかないっていうんです。普通であれば「どこが痛い」とか「ここが痛いのか」「どうなんだ」と、問診をするのが当たり前です。にも関 わらず一切口きかないっていうんですね。それでカルテだけを見て、看護助手に投薬だけを指示するという事です。そういった刑務所の医者の基本的な認識とし て、まず、この受刑者が嘘を言ってるのではないのかという事を考える。詐病ではないのか。つまり嘘を言って懲役労働から逃れて、病舎に移りたいが為に、つ まりサボリたい為に嘘を言ってるんではないかと。まず第一に疑うというのが、ずうっと続いてきた刑務所医療の実態なんです。そういったものを変えなけれ ば、受刑者が当たり前の医療さえも受けられない。そういった問題について、いろいろ取り組んでるのは今現在「監獄人権センター」、「CPR」と呼んでます が、そことあとは「救援連絡センター」です。
「監獄人権センター」の話を若干させてもらいますけれど、設立15年になります。今現在で言えば獄中者からの手紙が年に1,300通位来ます。前はそん な事なかったんですね。何でそんなに増えたかというと、2002年にあった「名古屋刑務所事件」をご存じでしょうか。名古屋刑務所で革手錠をされて、懲罰 ですね。後革手錠。それで放水を肛門にされました。ものすごい圧力がかかってる放水です。それで二名の受刑者が殺されたという事件がありました。その事件 をきっかけにして「行政改革会議」っていうのが出来まして、その中でいろんな改革の提案がされました。その「名古屋刑務所事件」が2002年でした。その 後に、2007年に徳島刑務所で暴動が起こりました。暴動の原因は何かというと……。2005年位から「監獄人権センター」に対して何通も徳島刑務所の受 刑者から手紙が来てたんです。徳島刑務所の医者が、例えば「頭が痛い」「風邪ひいてる」というような事でも、まず何をやるかというと、肛門に指を突っ込 む、それからつねるという事をやるわけです。それはもう本当に何人もの受刑者から「監獄人権センター」に訴えがあったのです。とにかく医者の治療などとは 全く違う、いわば拷問です。
そして、その実態を解明しようという事で弁護士会が動きました。弁護士会がかなり綿密に聞き取り調査をやりました。それが「刑務所医療改革に関する提案 シンポジウム」というパンフレットにまとめられたのです。これは画期的な事だと思います。それで、「名古屋刑務所事件」から始まって徳島刑務所というかな り象徴的な事があって、獄中者からの手紙がドーンと増えたんですね。実際に自分がどういう事で苦しんでいるのか、どういう医療がされていたのか。あるいは 看守にどういう暴行を受けたのか。諸々の相談が来ます。それが年間で1,300通位になってます。刑務所の実態が明らかにされるのは、ほとんどこういうか たちで、獄中者と、「監獄人権センター」や「救援連絡センター」が直接手紙でやりとりするという事によるんです。その相談の5割位は医療問題です。まっと うな治療を受けたいという医療問題です。
ただ、先ほど言いましたように医療といってもいろいろ幅があると思います。丸岡さんの例に端的に表れているように、刑務所の基本的な姿勢は管理ですか ら。医療つまり医者という面からみるという事は刑務所側としてはないわけですね。その実態を動かさなければいけない。なんとかして当たり前の事として「刑 の執行停止」が必要な人には必要な入院加療を出来るようにしたいという事です。刑務所問題、とりわけその中でも医療問題っていうのは非常にマイナーなの が、残念ながら現実です。「刑務所問題」で集まりをやっても本当に専門的なところで関心を持ってる人以外はあまり来ないんですね。だけども、やはり命の問 題として考えた場合には、先程も言いましたように監獄がこの社会を映す鏡であると考えますと、社会がどうなっているのかという事が監獄の実態によって、側 面からみて明らかになるだろうと思います。
非常に難しい問題ですけども監獄問題、処遇問題と医療問題に関わり続けていきたいと思っております。皆さんになんとか少しでもニュースを発信するようにしたいと思いますので、その時にはぜひ関心を持って見て頂きたいと思います。

質疑応答から
司会 中川さん、どうもありがとうございます。刑務所の話を聞けば聞く程とても常識でははかれないような事がおこなわれていて、本当に驚き です。あまり時間がありませんが、もし質問がありましたら、一人か二人位なら受け答えができると思います。どなたかありませんか。びっくりするような事柄 で、質問もしづらいかもしれませんけれど。
参加者A ひとつ疑問に思う事があります。磯江無期囚にしても泉水無期囚にしても、犯罪を犯して傷つけた被害者がいると思うんです。そうす ると、監獄に入っていても償いごととか、被害者の人権とか命について内省的にでも反省してると思うんですけれども。殺された人達にも人権がありますから、 その辺の問題については磯江無期囚なり泉水無期囚なりはどのようにとらえているのかというのをお聞きしたいんですけれども。
中川 その事については、なかなか本人になり代わって言う事は出来ないんですね。磯江さん自身は、言葉としては反省の弁は述べてないです。 私はその事に対しては、やはり彼自身がそこに突っ込んで考えるというのは、あるべき事だとは思ってます。でも、それは本人がどのように考えるかという事で す。それからもう一つ泉水さんの件ですけども、この本(『怒りていう、逃亡には非ず』松下竜一著)を読んで頂ければいいんですけども。最初の彼のいわゆる 「強盗殺人」、その共犯にされたわけですが……。その件に関してはこの中に書いてあります。裁判の過程での彼自身の主張とそれから責任については書いてあ ります。私がなり代わって言えませんので、ぜひこの本を読んで頂きたいと思います。
参加者B はい。今あちらの方がね、たぶんおっしゃりたい事は、犯罪を犯した人なんだから、そういった刑務所の医療や人権をことさら取り上げて問題にしなくてもいいんじゃないか、そういう事でしょう?
参加者A いや、もちろん刑務所の中での医療の問題とか人権の問題は確かに深刻かもしれませんけれども、一方でやはり無期囚の人達は傷つけた人の立場も考えるべきではないかという。まあ常識的な意見ですけど。
参加者B 僕も、常識的に思うんですけど、今ずっと話を聞いてすごく刑務所に対する怒りがわいてきたんですよね。どんな人であっても人権は あるわけだし、刑はいわゆる無期だったりなんだったりで、今ある程度償いをしている、刑務所の中に入ってるんだから。その人に例えばけつの穴に指を突っ込 んでもいいのかっていうと、それはありえない、それは怒らないといけないと僕は思うんですね。
参加者A そういう無期囚が、例えば起こした事件について反省の弁を述べたりすれば、処遇っていうか扱いもゆるやかになったり改善もみられたんじゃないかって推測するんですけれど。
中川 それは別の事だと思います。磯江さん自身が主張しているのは、実際の彼の内心は計り知れませんけれども、正しい事をやったと主張しています。言葉としてはね。ですけど、そういう事と今私が言った医療問題とか獄中の処遇問題っていうのは直結はしないと思います。
参加者A 何で直結しないんでしょうか。
中川 それは、やはり制度の問題だからですよ。簡単にいえば、刑務所に入って事件に対する反省もし、看守の言う事をそのまま聞いていれば、 じゃあ医療問題がいいように扱われるのかというと、そうではないんです。医療問題は刑務所側の制度として決めているわけですから。制度を動かさない限りは 駄目なんですよ。反省している人間がまっとうな医療を受けられるか、反省してない人間はその理由によってそうではないのかっていう問題では全くないと思い ます。実際に、刑務所の中から来た手紙を読み、そして医療に関するアンケートを読むと、そのように考えるしかないだろうなあと思います。刑務所の設備の問 題、医者の質の問題、医者の数の問題。それは全く足りないわけですよ。例えば歯科治療ですが、一年二年待つのは当たり前という状態。一年経って順番が来た ら「おお早かったな」というふうに言われる。医療の問題というのは、その施設に入っている人間に対して全体の問題としてあるわけですから。
参加者C 一つだけ思うのは、裁判所だとか検察だとか、まあ身近なところで言えば警察なんかは、前提として公平だという。罪を犯した人間に 対しても、被害者に対しても、どっちにも公平であるっていう幻想をね、僕らは持たされてるんじゃないかという気がすごくしてるんです。実際、身近な警察で さえ僕はちょっと疑わしいなって思った事なんべんもあるし。いや僕は警察に捕まった事はないですよ。ただ、そういうふうに思った事がすごくあるのに。それ でも、そういう所は公平にやってるんだみたいな感じがやっぱり自分の中にもあるのじゃないか。ちょっとこれは見方を変えてもいいのではないかと最近すごく 考えているんです。どっちが正しいとか正しくないとかわかんないんですけど、今話を聞いていて、そういうふうに考えた方がいいのではないかという感想を持 ちました。
司会 なるほど。それで、また蒸し返すようですけど、処遇というのは本来は犯した罪が重かろうが軽微だろうが、平等に受けられるっていうの が基本的なものでしょう。ですから、それがなされていないという事が問題なわけです。その具体例として磯江さんや丸岡さんのことが出されました。あと事件 に対して、被害者に対してどう思い、深い反省をしているのか、してないのかっていうのは別の問題で、また別のところで問われる事かもしれない。まあ裁判で は反省している人は罪軽くなったりしますよ。そういう事はあるかもしれませんけれど、こと医療や刑務所における日々の処遇に関しては基本的には平等でなけ ればならない。いわゆる権利としても。反省してない人はひどい処遇をされて、反省してる人はいい処遇を受けるというのは本来あってはいけないわけですよ ね。という事で、時間もありますので、この場はこの辺でお開きにしたいと思います。
中川 「監獄法」っていうのが100年間続いたんですね。その後に、さっき話した事件などがあって新法「受刑者処遇法」というふうになった んです。で、その中でやっと受刑者の医療はいわゆる社会一般並みのを受ける権利があるという事が書かれました。だけど、以前と変わってないんです。実態は 全く変わっていません。
[2010年・8月7日 planB]

関連書籍(パンフレット)の紹介

集会報告集
無期囚 磯江洋一さん 6・9決起30年 問われ続ける寄せ場・監獄・貧困..

主な内容
●磯江洋一さんからのメッセージ
●6・9闘争と寄せ場の闘い 松沢哲成
●磯江さんを支えて30年 丸山康男
●6・9以降の山谷の闘い 荒木剛
●厳罰化の流れの中での無期囚 山際永三
●獄中の処遇、医療について 永井迅
●「貧困」とは何か 加名義泳逸
●新人の弁護士として6・9事件の裁判を担って 内藤隆
●旭川刑務所の磯江さんとの25年の付き合いを通じて 八重樫和裕
●山谷からの報告 中島和之
●従兄弟として付き合って思うこと 橋井宣二
●アピール 宮下公園のナイキ化計画阻止へ
●会場からの発言
●有志による座談会
●クロニクル
●磯江さんの現在の健康状態と獄中医療問題について

103ページ 1200円
*購入希望の方はお問い合わせページから、連絡をおねがいします。

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