追悼の集いと上映会のお知らせ

◎11月13日(土) 午後2時より(1時30分 開場)
〈追悼集会〉
・生前の映像、・友人たちのお話、・献杯、など
◇日本キリスト教会館 4階
    新宿区西早稲田 2-3-18
参加費:1,200円(資料代込み)

◎14日(日) 午後2時30分 開場/3時 上映
〈映画と講演〉
・『山谷 やられたらやりかえせ』(監督:佐藤満夫、山岡強一)
・上映後、17時頃から 講演
「竜さんの思想と行動」(仮題)  原口 剛(神戸大教員)
◇ふらっとにっぽり 3階

2021年 4月17日

「釜ヶ崎、山谷、寿町を撃つ」
トーク:岸 幸太(写真家)

◎ 岸幸太さんは3月始めに、寄せ場を撮影した写真集『傷、見た目』(写真公園林)を上梓されました。その本の中で岸さんは、「本書に収められた写真は2005年12月から2020年8月までに大阪の釜ヶ崎、東京の山谷、横浜の寿町で撮影したものである。コンタクトシートをあらためて見返すと、初めてカメラを持ってこの町を歩きながら、撮りたいものが目前に拡がっていることに対して湧き上がってきた強い高揚感と緊張が甦る。その時に直感した私が撮るべき町や人がここにあるという確信は、今も変わらない」と書いている。その思いと、写真に対する考えを語っていただきます。

釜ヶ崎「センター前」上映会報告 2021年1月2日・3日

釜ヶ崎「センター前」越年越冬闘争における『山谷 やられたらやりかえせ』上映報告です。
上映は越年越冬期間中に設置しているテントにおける「センター前映画祭」において2回(1月2、3日にそれぞれ1回ずつ)行いました。テント内には間隔をあけて椅子を10個程度並べ、1月2日の上映では人の出入りはありつつほぼ満席、1月3日の上映では出入りが激しいものの10人程度の人がみていました。その他別の設営や準備で忙しかったり、焚き火にあたったりしているテント外の人たちも頻繁にテントをのぞいておりました。ささやかな上映会でしたが、作品中の風景を懐かしみ話がはずんだ労働者(「上映会のあとのエピソード」の文章参照)や、当時の釜を知らない人たちの釜シーンへの、のぞき見をふくめた注目度高さが印象的なものとなりました。
また『釜の住民票を返せ!』等の諸作品とともにセンター(前)という空間で上映できたことは意義深いものであったと思います。そして、コロナ禍において普段の寄り合いと同様に、皆でマスク着用・こまめな手指の消毒等に取り組んだからこそできた越冬・上映会でした。(Y・H記)

上映会のあとのエピソード

『山谷 やられたらやりかえせ』の上映の翌日、労働者から映画のシーンについて尋ねられた。「炭鉱のシーンがあったが、あれはどこを映したものだろうか」という内容だった。「筑豊ですよ」と答えると、とても懐かしかったという。いまは釜ヶ崎に住むその労働者は、筑豊で生まれ育ち、父親は炭鉱夫だった。映画に映し出される共同浴場や炭鉱住宅についてこちらから尋ねたところ、生まれ育った町ではそうした光景が確かにあったとのこと。そう話しながら、「炭鉱住宅はもうないやろな」とつぶやいていた。
その労働者は、炭鉱閉山をきっかけに関西に出てきたのだという。釜ヶ崎で働き、住むようになったのは、センターが建設された1970年のころだった。とくに記憶に残っているのは、90年暴動のこと。この暴動で西成警察署を謝罪させたことが、深く印象に残っているようだった(その点で92年暴動とは違う、とも語っていた)。また、その頃の釜ヶ崎では仕事があり、活気があったと懐古していた。
ふたたび筑豊の話に戻ると、故郷には、もう家族は残っていない。けれど、死ぬ前に帰りたい、故郷を見たいと、その労働者は何度も言っていた。手元に筑豊の写真集があったら良かったな、と思った。労働者と出会って、こうして話を聞くことができたのは、『やられたらやりかえせ』が労働者の出自を丁寧に辿っているからこそだと思う。そしてその映画を、労働者が集う釜ヶ崎のセンターで上映したからこそ、なのだと思う。(T・H記)

2020年12月11日

上映後、21:00頃から〈ミニ・トーク〉
今回のテーマは「越年・越冬闘争」です。労働者たちが知恵を出し合い、厳しい冬を生き抜くための、文字通りの「生きることが闘い」で、スローガンは「黙って野たれ死ぬな!」。
今年はとくに「コロナ状況下」で〈下層〉の切り捨てがますます厳しくなっています。
山谷労働者福祉会館活動委員会の横山晋さんをお招きして話を聞きます。

2020年8月1日

日雇いとギグワーカー
          ──「やらやり」と「金をくれ!」の間

「素人の乱/12号店」での初上映です。

上映後の〈トーク〉は、
鋭い批評の非正規思想家・平井玄さんと、
元・紅一点で
「要請するなら補償しろ!デモ」発起人のヒミコさん。

寄せ場が培ってきた〈暴動〉の先に、
2020年の〈反乱〉は重ねられるか?
対論、ご期待ください。

2020年3月28日

〈秋の嵐〉

トーク+ミニライブ /高橋よしあき(シンガー/ex.テーゼ)

 

「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」。この魅惑的な名のグループは、1987年から数年に渡って、主に原宿の路上で活動していた集団だ。

昨年5月には臆面もなく天皇の代替りが挙行されたが、その30年前、1989年1月にも同じく天皇の世襲が行われた。昭和から平成へ──裕仁(ヒロヒト)が病死し、明仁(アキヒト)が跡を継いだ。裕仁の病状発表は87年9月、一年後の88年9月には吐血し重体に。そして翌89年1月7日に死亡した。
この時期、日本中で様々な「自粛」が強制されたが、〈秋の嵐〉はそうした国家による規制の強化、そして天皇制そのものを批判して活動を続けた。原宿ホコ天(歩行者天国)での路上GIG、神宮橋での寸劇やパフォーマンス、スピーカーズコーナーなど。代々木公園や明治神宮というロケーションを舞台に、創意に満ちた街頭行動を次々と繰り広げた。
今回のミニトークでは、〈秋の嵐〉初期からの中心メンバーである高橋よしあきさんをお招きして、当時の話、現在につながる課題、そして記録映画(『秋の嵐 Harajuku im herbst』)のことも語っていただきます。1984年に「テーゼ」を始動させた高橋さんは、現在もソロでライブ活動を続け、国会議事堂を取り囲むロックフェス「イットクフェス」にも関わる一方、アスリート(トライアスロン、ウルトラマラソン)としても活躍。
当日はトークに加え、弾き語りミニライブも行います。
ぜひ、ご参集のほどを。

2020年1月25日

「泪橋」から見えた ヤマの男
お話し/ 多田裕美子 (写真家・映画喫茶「泪橋ホール」店主)

 ――山谷にある玉姫公園で、1999年から2年間、山谷の男たちの肖像を撮らせてもらった。現在の山谷は、街の風景も人の姿もその頃とはちがってきた。時が経っても変わらない120人の男たちのポートレイトを見ていると、写真屋のネエちゃん、と言いながら写真のなかの男たちが私に何かを語りかけてくる。
 私はしばらくご無沙汰していた山谷の男たちの声に耳をすましてみた。酔っぱらっていたり、東北訛りで何を言っているかわからないことばかりだったが、その声は私の記憶からはなれない。
 今も玉姫公園にある三本の銀杏の木。天高くのびるこの木に、男たちからもらった山谷の残像がかさなって見えてくる。(『山谷ヤマの男』―多田裕美子〔写真と文〕-まえがきより)
 浅草生まれの写真家の多田裕美子さんは、20年前、玉姫公園(映画「山谷」でも夏祭りや越年・越冬闘争の場として出てくる)で山谷の男たちのポートレイトを撮った。その数は120。山谷では労働者にカメラを勝手に向けたりすれば、まずは猛烈な反発をうけるが、たぶん、そこには独特な緊張感と、それに信頼感があったにちがいない。今回は、そんな写真家としての多田裕美子さんに、あわせて2019年の2月から始めた映画喫茶「泪橋ホール」の店主としての話もうかがう。

2019年12月20日

plan-B 定期上映会

――〈映画を、聞く〉2   越冬闘争――生き抜く闘い
お話し/ 町田さん (山谷労働者福祉会館活動委員会)

まもなく本格的な冬がやってくる。
今年も山谷や渋谷、そして各地の寄せ場では「越冬・越年闘争」の準備が始まった。仲間たちが知恵と力を出しあって、苛酷な「冬」を生き抜く闘いだ。
先日、大きな被害をもたらした台風19号では行政による「野宿者お断り避難所」が大きな問題になった。また、来年のオリンピックに向けて「環境美化」の名の下に「下層」の労働者、とりわけ野宿を強いられている人たちに対して、差別を剥き出しにした国家による締め付け攻撃が益々、エスカレートする事が予想される。

今回のミニトークは、〈映画を、聞く〉シリーズの2回目として、「越冬・越年闘争」を中心に話を交わします。ゲストは山谷で活動する町田さん。町田さんは、1972年に18歳で山谷に来て、当時の現闘(悪質業者追放現場闘争委員会)に参加し闘った経験があり、その時の通称(あだ名)は「チーフ」。一昨年の越冬闘争で40年ぶりに「現場復帰」し、現在は毎週の「共同炊事」や、行政に対してのさまざまな抗議・申し入れなど、渋谷の闘いも合わせて、精力的に行動をしています。
映画に写し出された山谷の一年の闘い、とりわけ「越冬闘争」のシーンとは、実際はどのようなものか? 町田さん–チーフに、現闘時代の運動に思いを込めつつ、現在の「現場報告」を話していただきます。ぜひ、ご参集ください。

2019年8月3日

plan-B 定期上映会

「外国人労働者問題」とはなにか? ——「移民」を認めない国の片隅から見えたこと
お話し/ 安藤真起子 (移住者と連帯する全国ネットワーク)

昨年暮れに、外国人の出入国などを管理する「出入国管理及び難民認定法(入管法)」が改定された。それに伴い、政府は「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」まで策定したが、果たしてその実体はどうなのか?
外国人労働者の問題が、社会的に注目され始めたのは、このクニが「好景気」に浮かれた1980年以降のころからだ。就学生の「資格外就労」やオーバーステイの労働者たちの「不法労働」がやり玉に挙げられたが、実際には、3K(きつい・汚い・危険)労働をはじめ、低賃金などの労働条件が低い仕事を、法的には立場の弱い外国人たちに押しつけ、「使い捨ての労働力」として扱ってきたのが実体だった。
その後、政府は「技術実習制度」などの小手先の「受入れ」方策を施行したけれど、それらは現実の労働実体には即しておらず、外国人労働者たちの労働や生活の改善につながるものと言えるものではなかった。昨年の法改定も、当面のオリンピックや大阪万博、さらには「少子化」による今後の「労働力不足」に対処する目論みにすぎないだろう。まさに、労働力政策と入管体制の管理をさらに強化しようとする、国家意思の現れといえる。

今回のミニ・トークでは移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)の安藤真起子さんに、外国人労働者たちが直面している状態について、移住連の活動を軸に話していただきます。安藤さんは横浜の寿での活動経験もあり、その体験を生かした話になると思います。ぜひ、ご参集のほどをお願いします。