2020年3月28日

〈秋の嵐〉

トーク+ミニライブ /高橋よしあき(シンガー/ex.テーゼ)

 

「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」。この魅惑的な名のグループは、1987年から数年に渡って、主に原宿の路上で活動していた集団だ。

昨年5月には臆面もなく天皇の代替りが挙行されたが、その30年前、1989年1月にも同じく天皇の世襲が行われた。昭和から平成へ──裕仁(ヒロヒト)が病死し、明仁(アキヒト)が跡を継いだ。裕仁の病状発表は87年9月、一年後の88年9月には吐血し重体に。そして翌89年1月7日に死亡した。
この時期、日本中で様々な「自粛」が強制されたが、〈秋の嵐〉はそうした国家による規制の強化、そして天皇制そのものを批判して活動を続けた。原宿ホコ天(歩行者天国)での路上GIG、神宮橋での寸劇やパフォーマンス、スピーカーズコーナーなど。代々木公園や明治神宮というロケーションを舞台に、創意に満ちた街頭行動を次々と繰り広げた。
今回のミニトークでは、〈秋の嵐〉初期からの中心メンバーである高橋よしあきさんをお招きして、当時の話、現在につながる課題、そして記録映画(『秋の嵐 Harajuku im herbst』)のことも語っていただきます。1984年に「テーゼ」を始動させた高橋さんは、現在もソロでライブ活動を続け、国会議事堂を取り囲むロックフェス「イットクフェス」にも関わる一方、アスリート(トライアスロン、ウルトラマラソン)としても活躍。
当日はトークに加え、弾き語りミニライブも行います。
ぜひ、ご参集のほどを。

2020年1月25日

「泪橋」から見えた ヤマの男
お話し/ 多田裕美子 (写真家・映画喫茶「泪橋ホール」店主)

 ――山谷にある玉姫公園で、1999年から2年間、山谷の男たちの肖像を撮らせてもらった。現在の山谷は、街の風景も人の姿もその頃とはちがってきた。時が経っても変わらない120人の男たちのポートレイトを見ていると、写真屋のネエちゃん、と言いながら写真のなかの男たちが私に何かを語りかけてくる。
 私はしばらくご無沙汰していた山谷の男たちの声に耳をすましてみた。酔っぱらっていたり、東北訛りで何を言っているかわからないことばかりだったが、その声は私の記憶からはなれない。
 今も玉姫公園にある三本の銀杏の木。天高くのびるこの木に、男たちからもらった山谷の残像がかさなって見えてくる。(『山谷ヤマの男』―多田裕美子〔写真と文〕-まえがきより)
 浅草生まれの写真家の多田裕美子さんは、20年前、玉姫公園(映画「山谷」でも夏祭りや越年・越冬闘争の場として出てくる)で山谷の男たちのポートレイトを撮った。その数は120。山谷では労働者にカメラを勝手に向けたりすれば、まずは猛烈な反発をうけるが、たぶん、そこには独特な緊張感と、それに信頼感があったにちがいない。今回は、そんな写真家としての多田裕美子さんに、あわせて2019年の2月から始めた映画喫茶「泪橋ホール」の店主としての話もうかがう。

2019年12月20日

plan-B 定期上映会

――〈映画を、聞く〉2   越冬闘争――生き抜く闘い
お話し/ 町田さん (山谷労働者福祉会館活動委員会)

まもなく本格的な冬がやってくる。
今年も山谷や渋谷、そして各地の寄せ場では「越冬・越年闘争」の準備が始まった。仲間たちが知恵と力を出しあって、苛酷な「冬」を生き抜く闘いだ。
先日、大きな被害をもたらした台風19号では行政による「野宿者お断り避難所」が大きな問題になった。また、来年のオリンピックに向けて「環境美化」の名の下に「下層」の労働者、とりわけ野宿を強いられている人たちに対して、差別を剥き出しにした国家による締め付け攻撃が益々、エスカレートする事が予想される。

今回のミニトークは、〈映画を、聞く〉シリーズの2回目として、「越冬・越年闘争」を中心に話を交わします。ゲストは山谷で活動する町田さん。町田さんは、1972年に18歳で山谷に来て、当時の現闘(悪質業者追放現場闘争委員会)に参加し闘った経験があり、その時の通称(あだ名)は「チーフ」。一昨年の越冬闘争で40年ぶりに「現場復帰」し、現在は毎週の「共同炊事」や、行政に対してのさまざまな抗議・申し入れなど、渋谷の闘いも合わせて、精力的に行動をしています。
映画に写し出された山谷の一年の闘い、とりわけ「越冬闘争」のシーンとは、実際はどのようなものか? 町田さん–チーフに、現闘時代の運動に思いを込めつつ、現在の「現場報告」を話していただきます。ぜひ、ご参集ください。

2019年8月3日

plan-B 定期上映会

「外国人労働者問題」とはなにか? ——「移民」を認めない国の片隅から見えたこと
お話し/ 安藤真起子 (移住者と連帯する全国ネットワーク)

昨年暮れに、外国人の出入国などを管理する「出入国管理及び難民認定法(入管法)」が改定された。それに伴い、政府は「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」まで策定したが、果たしてその実体はどうなのか?
外国人労働者の問題が、社会的に注目され始めたのは、このクニが「好景気」に浮かれた1980年以降のころからだ。就学生の「資格外就労」やオーバーステイの労働者たちの「不法労働」がやり玉に挙げられたが、実際には、3K(きつい・汚い・危険)労働をはじめ、低賃金などの労働条件が低い仕事を、法的には立場の弱い外国人たちに押しつけ、「使い捨ての労働力」として扱ってきたのが実体だった。
その後、政府は「技術実習制度」などの小手先の「受入れ」方策を施行したけれど、それらは現実の労働実体には即しておらず、外国人労働者たちの労働や生活の改善につながるものと言えるものではなかった。昨年の法改定も、当面のオリンピックや大阪万博、さらには「少子化」による今後の「労働力不足」に対処する目論みにすぎないだろう。まさに、労働力政策と入管体制の管理をさらに強化しようとする、国家意思の現れといえる。

今回のミニ・トークでは移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)の安藤真起子さんに、外国人労働者たちが直面している状態について、移住連の活動を軸に話していただきます。安藤さんは横浜の寿での活動経験もあり、その体験を生かした話になると思います。ぜひ、ご参集のほどをお願いします。

2019年5月11日

plan-B 定期上映会

下層からの天皇制批判 ─ ─ 船本洲治の思想をとば口に
お話し/ 原口 剛 (都市社会地理学、都市論)

このチラシが流通している期間は、ちょうど天皇の代替りの時期にあたる。天皇・明仁(アキヒト)は成り上がって「上皇」に、息子の徳仁(ナルヒト)が跡目を継いで新天皇に昇格する。
「明治」以降の皇軍(日本軍)のアジア侵略は、言うまでもなく天皇を最高責任者とした所業であり、1945年の敗戦によっても、天皇制は「象徴天皇制」として生き延び、何ら責任をとることをしなかった。また「下層」にとって天皇制は、「貴あれば賤あり」といわれるとおり、身分差別イデオロギーの根源であり、不倶戴天ともいうべき仇(あだ)なす敵である。ことに私たちのこの映画は、二人の監督が、天皇をいただく右翼ヤクザに虐殺されている。私たちは、天皇の存在自体を許すことはできず、天皇制批判を続けていきたいと思う。

そこで今回のミニ・トークでは、船本洲治『黙って野たれ死ぬな』の解説を書かれた原口剛さんを招き、お話をうかがう。船本は、寄せ場の先鋭的な活動家であり、1975年の沖縄海洋博に際し、当時の皇太子(アキヒト)の「来沖阻止!」を叫んで嘉手納基地前で焼身決起をした。
船本の思想と行動に向き合い、天皇制批判はもちろん、国家・資本制を批判する視座をめぐって討論を進めていきたいと思います。ぜひ、ご参集のほどを。

2019年2月23日

plan-B 定期上映会

「「3・1独立運動」から100年めに “恨日” を語る
お話し/ 朴容福 (元・指紋押捺拒否予定者会議)

今年は、1919年に朝鮮全土で闘われた「3・1独立運動」から100年を迎える。1910年の「韓国併合」を経て、より苛烈になる日本の植民地支配に抗して、民衆が「朝鮮独立万歳!」を叫び、全土にくり広げていった闘いだ。
それから100年。1945年の敗戦を経ても、日本政府はその歴史的な犯罪の責任をなんら明らかにはしていない。また、植民地支配の実態そのものである強制連行や強制労働(徴用工)、従軍慰安婦らの具体的な被害者にも謝罪や補償をしないばかりか、企業に賠償を命じた韓国の司法(裁判所)の判断には、政府の面々が文句をつける始末だ。この政府が昨年末に強行採決した外国人労働者の移入拡大を目指した法律(改定入管法)は、「共生社会」の掛け声にもかかわらず、共に生きるべき人間ではなく、かつての「連行」と同じように「労働力だけの動員」であることは目にみえているのではあるまいか。
1980年代なかばに「反外登法」「指紋押捺拒否」の運動が多くの在日韓国・朝鮮人、中国人たちによって闘われ、その結果、昭和天皇の最後の勅令を基にした「外国人登録法」は、それ自体としては廃止された。そのころから「多文化の共生」ということが語られはじめたのだが、はたしてその「共生」は人びとのあいだに根づき、社会のなかに息づいたのだろうか? 今回のミニトークでは、かつて「指紋押捺拒否予定者会議」を立ち上げ、運動の中心をになった朴容福さんをお招きし、現在の日本社会について、その思いを語っていただく。共生/連帯とは、まずは「現在」に対する痛烈な批判から始まるものであるから…。ぜひ、ご参集ください。

2018年12月15日

plan-B 定期上映会

「白手帳」と寄せ場・寿町の現在
お話し/ 近藤 昇 (寿日雇労働者組合)

映画上映後の「ミニトーク」は、新シリーズ〈映画を、聞く〉として、この映画に出てくる、あまり一般には馴染みのない事柄について、話を交わします。今回のテーマは「白手帳」。横浜の寿日雇労働者組合の近藤昇さんをお招きし、話を聞きます。

* * *
「年末一時金」の受給に並ぶ、大勢の労働者たちの列。この映画の後半の1シーンなのだが、ナレーションでは「この年の受給者の数は8250人であった」と語られる。つまりこの映像が撮影された1984年当時の山谷では、「白手帳」の保持者が、8千人以上はいたということだ。
映画では、「白手帳」は職業安定所のシーンや、釜ヶ崎のシーンにも出てくる。
「白手帳」とは、日雇労働者のための雇用保険、つまりは「失業保険」だ。就労した日に事業主がこの手帳に印紙を貼り、その種類や枚数に応じて「失業手当(アブレ手当)」が支払われる。仕事の全くない年末年始にも、この手帳をもとに「一時金」が支給されるという制度だ。不安定な雇用状態に置かれた日雇労働者にとっては、生きていく上で必要な制度であり、大事な権利だ。
だが行政は、この制度をなくそうとして動いている。たとえば、以前はドヤ証明があれば本人証明とされたものが、住民票の提示を条件付けたり、より困難な条件を要求し、発行・更新自体を拒絶するというケースが相次いでいる。
釜ヶ崎では「職安への登録者数は1986年に約25000人であったが、現在(2015年)では1500人前後」といわれている。山谷では、昨年の職安(玉姫労働出張所)での9月の更新時では、「手帳の所持者は更新の前後で約500人から約100人へと激減した」(「東京新聞」17年11月)とある。
かつては使い捨て可能な労働力の供給地として必要だった「寄せ場」に、労働者を留めおくための〈制度〉でもあったのだろうが、今はすでに「必要のないもの」として切り捨てようとしているのだろうか。
今回のミニトークでは、この「白手帳」の現状にみられるような「寄せ場」の労働境遇の変化、そしてそれに対する労働者の現在を、近藤昇さんに語ってもらいます。同時に寿町の現在などについても、お話しいただければと思っています。
* * *
〈映画を、聞く〉シリーズは、断続的に続けます。興味あるテーマがあったら、教えてください。

2018年10月27日

plan-B 定期上映会

〈天皇制ナショナリズムと
グローバル化する極右=排外主義〉と抗うために

お話し/ 小倉利丸 (現代資本主義論)

この映画が作られてから30数年。資本と国家はどう変わっただろうか?
使い捨て自由な〈労働力市場〉として形成されてきた釜ヶ崎や山谷などの《寄せ場》は、「支配権」をめぐる闘いから、生存を維持する闘いを経て、ジェントリフィケーション(都市「再開発」)攻撃の下で「なきもの」にされようとしている。もともと 《寄せ場》は「なきもの」とされてきており、必要なのは〈労働力〉であって〈人間〉ではなかった。その存在が社会的に「認知」されたのは唯一《暴動》によってで あった。それも治安問題と差別の対象としてで、そこで多くの労働者が「野たれ死に」していることは隠されてきた。なぜか? その存在そのものが資本主義の矛盾の集積場であるからだ。そしてそこでの《反乱》は資本主義批判そのものであったからに他ならない。
「そもそも今の社会の仕組みを批判すること自体が非現実的であり、現にあるシステムを受け入れざるを得ないのではないか」という、現にある社会への消極的肯定、あるいは 未来を展望できない閉塞感を利用して、安倍政権は、2020年 をメルクマールとして「歴史の転換をはかる」と「維新」を気取っている。改憲策動、天皇交換からオリンピックへと、ナショナリズムを煽って「総動員体制」をはかり、再度の「国民統合」の強化を狙っている。その後に来るものは何か? 近年の欧米をみても「トランプ現象」、「移民排斥」勢力が勢いを増し、〈右からの現状打破〉が跋扈してきている。
こうした状況をどう読み解くのか、そのイデオロギー的背景は何かーーこれらについて小倉利丸さんをお招きし、提起していただく中から、共に《カウンター》を模索していきたい。是非ご参加を! 《絶望のユートピア》を語り合いましょう!

2018年7月21日

船本洲治『黙って野たれ死ぬな』新版刊行 特別上映

黙って野たれ死ぬな!

1975年6月25日、沖縄の地において、「皇太子訪沖阻止! 朝鮮革命戦争に対する反革命出撃基地粉砕!」を叫び、日雇・下層労働者の解放のその日を確信して、炎に身をつつまれた船本洲治──享年29歳。かれは、寄せ場─流動的下層労働者の闘いの画期となる釡共闘─現闘委の運動をけん引し、発言し、ことばどおりからだをはって闘った。
焼身決起から43年、旧版から30数年をへて、船本の遺稿集『黙って野たれ死ぬな』があらたな編集と装いで刊行されることになった。旧版刊行当時、山谷の地で激烈に闘われた天皇主義右翼暴力団との闘い、そして今日へとつづく運動の磁場からいったん身をほどき、船本の生きてきた時代とかれの立場(思想)を、いま現在を生きる私たちひとり一人が自由にくみとり、未来につなぐ時が訪れたのではないか。ともに語らいあう場としたい。多くのご参加をおねがいします。

2018年7月21日(土)
午後4時〜(開場3:30)

裏.indd

【第1部】 16:00〜

●映画『山谷 やられたら やりかえせ』
ドキュメンタリー/16㎜/カラー/1時間50分

【第2部】 18:15 ころ〜
●船本洲治の「今」を語る
中山幸雄(元・現場闘争委員会)
風間竜次(元・釜ヶ崎共闘会議)
小美濃彰(東京外国語大学・院生)
 … 他
●交流会 〜 22:30ころまで

■入場料 1500円(「第2部」のみは 500円)

会場 plan-B 中野区弥生町4-26-20-B1 (入り口は中野通り沿い) 地下鉄・丸ノ内線 中野富士見町 徒歩5分
予約・問い合わせ 「山谷」制作上映委員会  044-422-8079 090-3530-6113

◆船本洲治遺稿集刊行会 +(株)共和国 +「山谷」制作上映委員会 共同主催

2018年5月19日

plan-B 定期上映会

「搔き消された「声」に 耳をそばだてること」
お話し/ 細谷修平 (美術・メディア研究/映像作家)

東日本大震災による経験は、わたしたち(少なくともわたし)に、過去を省みることの必要を気づかせ、わたしたちは一層とその営みに意識的になったように思われます。過去の忘れられた出来事に向き合い、それとの衝突によって、集団の想像力が蜂起すること。わたしはそれを信じているようです。
 しかし8年目を迎えた今、資本主義はわたしたちのこうした気づきだけでなく、震災という出来事そのものを「ノスタルジー」として回収・消費し、2020年の東京五輪へと加速の一途を辿っています。国家による国民の歴史はいくらでもつくられるでしょう。それでは、人民による人民の歴史はどうでしょうか。
 今回は、わたしが関心を持って研究に取り組む60年代70年代の政治と藝術の動向、80年代の光州民衆抗争とそれへの呼応などを通して、記録の可能性/不可能性について、みなさんと考える機会になればと思います。

 映像メディアが氾濫し、ことばが軽んじられる現在においてこそ、「山谷」の上映会という「場」で対話と考察を深められればさいわいです。