2017年 3月25日

plan-B 定期上映会

「ホーボー hobo をめぐって   ーーオレたちみんなホーボーだ!」
講演 / マニュエル・ヤン
(早稲田大学・教員)

さて今回のトークのテーマは「ホーボー」。
ホーボーとは、19世紀最末期から20世紀の前半にかけて北アメリカの各地を流浪した〈流れ者〉たちのことだ。まあ強引にいってしまえば山谷・釜ヶ崎などの寄せ場を「基地」として全国を渡り歩く日雇労働者たちの先輩格にあたる人たち、〈流動的下層労働者〉の先駆け、ともいえる。
とはいえ、ぼくたちにとって「ホーボー」のイメージは、ジャック・ロンドンやドス・パソスたちの著作、ウディ・ガスリーの歌、あるいはロバート・アルドリッチ監督の映画『北国の帝王』などを通してかろうじて辿れるにすぎない。
背景に IWW(世界産業労働者=組合)の活動や、1910年代にはエミリアーノ・サパタやパンチョ・ビリャたちのメキシコ革命があったとしても、まだその存在は少し、遠い。
そこで今回は、北アメリカ合州国から飛来したとびきりの論者であるマニュエル・ヤンさんをお招きして縦横無尽に語ってもらうことにした。ヤンさんは現在ニホン滞在中で早稲田大学・社会科学総合学術院の助教。

【以下、ヤンさん自身による略歴】
「ブラジルで生まれ、神戸・カリフォルニア・台中・テキサス・オハイオを転々とし、ロサンゼルスで六年間仕事にあぶれたあげく、現在東京在住」

100年前に生きたホーボーたちがいまのぼくたちに何を語りかけるか? おそらくは100年前はそんなに遠い〈過去〉ではない。ホーボーたちと肩を並べて〈現在〉を考えていきたい。ご期待ください。

【ヤンさんから一言】
一切合切世も末だ。
現代の「ホーボー」である移民労働者を保守よりバンバン国外追放し、ドローン暗殺やシリア介入で人殺しをやりまっくた「戦争の親玉」オバマの後にお出ましになったのは、移民をテロリスト・強姦者呼ばわりして愚劣で醜い弱いものいじめをするトランプ。政治政党一切合切ぶっ壊して「オレたちみんなホーボーだ!」という階級闘争の原点にもどるしかない。

2017年1月14日

plan-B 定期上映会

千代次に聞く――山谷の玉三郎と「さすらい姉妹」
お話し/ 千代次 (水族館劇場・さすらい姉妹)

山谷の玉三郎が亡くなった。映画「山谷やられたらやりかえせ」の夏祭りのシーンでの艶やかな姿が印象的だが、あれから30年。2016年7月町屋の斎場で100人近くの友人知人に見守られ、最後にみんなの拍手におくられ逝ってしまった。
大晦日、山谷労働センター前、踊る山谷の玉三郎に声がかかる。「よー、玉ちゃん」「タマ〜」恒例の「さすらい姉妹」での玉三郎の姿だった。
そこで、今回「さすらい姉妹」や水族館劇場で山谷の玉三郎と協働・共演してきた役者・千代次さんに玉三郎のことを語ってもらう。そして、山谷の玉三郎がこだわっていた「芝居」「芸能」への想いも…。

*さすらい姉妹――1996年から現在まで年末年始に寄せ場の路上などで千代次さんを中心に行っている路上芝居。山谷の玉三郎が参加したのは1997年「根雪の還る海」から。その後、玉三郎は水族館劇場にも出演している。

2016年10月8日

「山さん、プレセンテ!」

於、日暮里 ART CAFE 百舌

上映後、「山さん年代記」
山岡さんのたどってきた軌跡を、時代 順に、当時山さんと場と時間を共にした 仲間たちとたどり直します。時代の情景 の風貌、その中の山さんのたたずまいが 浮かび上がればと思います。

2016年9月17日

plan-B 定期上映会 <山岡強一虐殺 30年 山さんプレセンテ!>

第5回 サパティスタはなぜこの世界に登場し、そしてそれはこの世界の何を変えたのか?
講演 / 太田昌国(民族問題研究、シネマテーク・インディアス)

plan-Bでのシリーズ「山さん、プレセンテ!」の第5回目、このシリーズはこれで終了し、10月の8、9日の両日に行われる「山岡強一虐殺30年 山さん、プレセンテ!」本集会へと接続してゆきます。

本シリーズは、第4回(平野良子=在日朝鮮人たちの運動との〈接点〉)を除いて、山岡さんが不在となって以降の世界の「変容」の、もし山さんが「ここにいる」なら必ず注目し、考え、行動したに違いないいくつかのこと――天皇制の変貌(天野惠一)、被曝労働の実態(なすび)、欧米を標的にしたテロルの根拠(鵜飼哲)についてお話をうかがってきた。今回は太田昌国さんをお招きして、標題のテーマをめぐって考えていきたい。

1994年1月1日、メキシコ南東部のチアパス州で先住民たちが武装蜂起した。その日は、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効する当日であり、蜂起軍はその協定を批判し、「先住民族に対する死刑宣告にひとしい」と断じていた。けれどもそれは「奇妙な」蜂起だった。サパティスタ民族解放軍(EZLN)と名乗る蜂起軍は、たしかに警察や軍事施設に攻撃を加えたが、(臨時)革命政府の樹立を宣言したり権力奪取の行動はとらずに、中央政府に「対話」を求めたのである。

その後、ラカンドンの森に帰還したEZLNは「叛乱副司令官マルコス」の名と声で矢継ぎ早に声明を発していく。それらは、それまでの左翼の「常識」をくつがえす、驚くべき新鮮な内容の数々であり、みごとなメディア活用手腕もさることながら、その魅惑的な言いまわしによって「世界」の人びとの心に染み込むように届けられた。

今回、トークをお願いした太田さんは、サパティスタたちの言動にいちはやく注目し、細やかな紹介や分析の文章を執筆され、また編集者として数多くの書籍をまとめられてきた。また同時にボリビアの映画製作者〈ウカマウ集団〉との共同制作の映画を、このクニで自主上映もされてきた。その経験のうえで、サパティスタ出現の前後から、この「世界」の変容を語っていただく。

2016年7月23日

plan-B 定期上映会 <山岡強一虐殺 30年 山さんプレセンテ!>

第4回 在日朝鮮人の運動との<接点>をたどる
講演 / 平野良子(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会)

シリーズ「山岡強一虐殺30年 山さんプレセンテ!」の第4回目。今年1月から始めたこのシリーズは、第1回目にいまだこのクニの「ありかた」を規定してやまない(象徴)天皇制について天野恵一さんに、3月には使い捨て労働力として除染・収束作業に狩り出される下層労働者の問題を被ばく労働を考えるネットワークのなすびさんに、そして5月には世界中でわき起こる支配層に対する抵抗闘争、ことにその<暴力>をめぐって鵜飼哲さんに話していただいた。

今回は山岡さんが運動の重要な柱のひとつとして考えていた、在日朝鮮人運動との<接点>をたどり直してみたい。
山岡さんたちが山谷で活動を再開した1979年は、韓国では釜山・馬山で民主化の大闘争が勃発し、朴正煕大統領が側近に射殺された年でもあった。そして翌年には全国の学生らが決起し、光州での蜂起へとつながってゆく…。山さんらはそれをしっかりと見据えて運動を継続していったにちがいない。現に、82年日雇全協結成後いちはやく「全泰壱(チョン・テイル)デー」の開催を提起し、その意味を「…日朝労働者の連帯を具体的に実践するために、…在日朝鮮人との共同闘争に向けて、…特に在日朝鮮下層労働者との戦線形成」とし、「自己の排外主義との闘い」であるともした。それはまた、70年代の現闘委の総括から導き出された「流動的下層労働者と被植民地人民の闘いの水路構築」というスローガンの実践でもあった。

今回の上映会では、いくつかの現場で山さんと共に闘った平野さんのお話をうかがいながら、そうした山岡さんの問題意識と行動を具体的にたどり直し、70年代以降の在日朝鮮人たちの運動との<接点>を、下層の視点からもういちど見つめてみたい。聞き手は上映委の池内文平。
映画上映は午後6時から、お話は8時くらいからです。

2016年5月21日

plan-B 定期上映会 <山岡強一虐殺 30年 山さんプレセンテ!>

第3回  「生きてやつらにやりかえせ!――歴史・民族・暴力」
講演 / 鵜飼哲(フランス文学・思想)

「山岡強一虐殺30年   山さん、プレセンテ!」シリーズの第3回目。今回は鵜飼哲さんをお招きして「暴力」をめぐる問題を考えていきたい。
寄せ場労働者の自己表現(力)のひとつは「暴動」だ。あるひとは暴動を「被抑圧者の言葉」であると言った。実際に、どんな切っ掛けで起ころうが、寄せ場の暴動は常に目に見える権力者(交番、警察署…)へと向かう。1959年末から60年代を通して十数波にわたって巻き起こった山谷の暴動もそのようなものであった。
寄せ場の活動家たちがまず直面した課題は、地から湧き上がる、そうした「暴力」とどう向き合うかであった。その中から生み出された合言葉が「黙って野たれ死ぬな」であり「やられたらやりかえせ」である。
いま私たちは、メディアなどを通じて世界中の「暴力」を見聞きしない日はない。北アメリカやヨーロッパ各国による空爆攻撃、ISの台頭、内戦…、それらが生みだす難民たち、そして行き場のない人びとを取り巻き、排除しようとする「排外主義」という暴力。パリやブリュッセルから聞こえてきた爆発音は、もうひとつの「被抑圧者たちの言葉」なのか?   私たちはその「言葉」とどう向き合い、どんな自分たち自身の「言葉」を紡ぎ出し発することができるのか?

鵜飼さんには、中東、アフリカ、ヨーロッパ…でいま起こっていることを、自身の経験を踏まえて語っていただきます。奮ってご参集ください。(なお、今回も映画上映は午後6時〜、トークは午後8時くらいからです。お間違えなきよう、ご注意を。)

2016年3月19日

plan-B 定期上映会  <山岡強一虐殺 30年   山さんプレセンテ!>

第2回   引続く棄民政策と被ばく労働者
講演 / なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)

この3月23日から「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム(反核WSF)2016」が開かれる。福島原発事故から5年。自民党政権は自分たちの責任には頰被りして原発再稼働や原発輸出に突き進んでいる。反核WSFはこうした現状に異をとなえ、国内の反核運動と世界の運動をつないで「もうひとつの世界」を実現していこうという試みのひとつだ。
核技術開発は軍事利用や商業利用にかかわらず巨額の投資を必要とする国家規模のプロジェクトだ。そこには最高度の危険をともなうがゆえの秘密性や暴力・強制が必ずまとわりついている。また原料のウラン採掘から核のゴミ処理にいたる核燃料サイクルは、被ばく被害を地方や下層に押しつける差別性に貫かれている。いっぽうで「安全神話」をこねあげ、何の根拠もない「規制値」を上げ下げして、ウソをウソとも感じなくなった御用学者やマスメディアをつくりあげ、他方、税金や電気料金で吸い上げたカネを積み上げ、原発立地地域をがんじ搦めに縛りつけて被ばく被害のリスクを一方的に押しつけている。原発は(たとえ、万が一、放射能が漏れ出さなくとも)人格破壊・地域破壊の極みであるといえる。
そして被ばく労働者たち。福島原発事故以前から、全国の原発の現場でもっとも危険な作業に携わってきたのは下層の労働者たちである。重層的下請構造のシワ寄せに加え、イノチを切り売りする被ばく労働の実態は、いま除染労働・廃炉作業が進むなかでより一層の過酷さを増している。3・11以降にこのクニで進行しているのはむき出しの棄民政策と被ばく労働の増大である。「山さん、プレセンテ!」の第2回目は寄せ場からの視点でこの問題を考えてみたい。
お話は、山谷での活動歴も長く、また今回の反核WSFの呼びかけ団体でもある「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさん。いつもより上映時間が早まります(午後6時〜上映)。ご注意を。

2016年1月16日

plan-B 定期上映会  <山岡強一虐殺 30年   山さんプレセンテ!>

第1回   象徴天皇制の<変貌>
講演 / 天野恵一(反天皇制運動連絡会)

1986年1月13日の山岡強一虐殺から、30年がたつ。
2016年のplan-B<定期上映>では、山岡強一の山谷(寄せ場)での闘いを振り返り、彼が何と闘い、何を考えてきたかを、あらためて見つめなおしてみたい。
その第1回目は、天野恵一さんによる「象徴天皇制の<変貌> 」。
1989年1月7日に昭和の天皇・裕仁が病死し、長男の明仁が後を継いで「平成」がスタートした。それから27年、明仁天皇は裕仁から何を受け継ぎ、何を受け継がなかった(フリをしていた)のか?
夫婦で被災地を見学して回ったり、「賢妻」美智子のクローズアップ、長男の嫁さんへのバッシング、次男一家、殊にその長女の売り出し…と話題には事欠かない天皇ファミリー。イメージはずいぶん変わったように見えるが、果たしてその本質は? そもそも「象徴天皇制」とは、どのようなものなのか?
そしていま、戦争を前提とした法律を勝手に作り上げた自民党政権が思い描く「天皇制」とはどのようなものか?   わたしたちは、それにどう対抗してゆくのか?
天野さんには、山岡強一の思い出、寄せ場の闘いへの思い入れ、そして現・天皇制をめぐって、自在に話していただく。

2015年11月14日

plan-B 定期上映会

相倉久人の居た風景
講演 / 平井 玄 (批評家)

相倉久人さんが亡くなった。7月8日、享年81歳。相倉さんは1950年代からジャズ批評を手がけ、70年代以降はロック、ポップス、歌謡曲にまで守備範囲をひろげていた。plan-Bでも80年代からずっと「重力の復権」というパフォーマンス・ジョッキーを続け、私たちの上映会でも87年11月にトークをしていただいた。
今回は、その相倉久人さんの追悼の意味をこめた上映会としたい。
お話をお願いするのは平井玄さん。上映委の初期メンバーでもあり、なによりニホンのジャズシーンとは切っても切り離せない新宿という土地に生まれ育った。平井さんは先ごろ『ぐにゃり東京』(現代書館)という奇妙なタイトルの本を上梓した。副題に「アンダークラスの漂流地図」とある通り、これは下方から切り上げた逆袈裟切り的都市論ともいえよう。
ジャズはなによりも〈場〉の音楽である。そしてジャズ・スポットとは、点は点でも、交差点というモノもヒトも行き交う場の一瞬間のことにちがいない。相倉さんはそういうスポット(点=場)に立ち続け、時代の半歩先と格闘するコトバを紡ぎ出していった。
もちろん、そうした相倉さんの当代一級の批評言語を読み解くことは大切なことだが、今回は平井さんが「漂流」し、歩きながら見た風景の中の「相倉久人」を語っていただくことにした。

2015年9月26日

plan-B 定期上映会

下層のアナキズム
講演 / 栗原康 (大学非常勤講師/アナキズム研究)

1918年、米騒動がおこった。のべ人数1000万人。未曾有の大暴動である。大正時代のアナキスト、大杉栄はこの暴動を大阪釜ヶ崎で目撃している。やばい、すごい。テンションのあがった大杉は、小躍りして群集をあおり、そしてこういった。「市民」がみずからの殻をつきやぶり、ゼロになってみずからの生をいきなおそうとしていると。
およそこの資本主義社会では、しあわせな家庭を築き、そのために充分なカネをかせぐことがもとめられている。それをいやがったり、うまくできなかったりすれば、人間じゃないようなあつかいをうける。そしてきまってこういわれるのだ。汝、「市民」になりたまえ。
でも、大杉はいう。ひとがどう生きようとひとの勝手だ。いやなら好きに生きればいいんだし、うまくいかずに虐げられているのであれば、それは「市民」とはちがう生きかたをしているというだけのことだ。その感覚を武器にしてたちあがればいい。みずからの抑圧された存在状況を武器にせよ。オレ、ろくでなし。無数のろくでなしたちが「市民社会」に亀裂をひきおこす。下層のアナキズム。これはいま現在にもつうじることだろうか。そんなことをお話しできたらとおもっている。