この映画は一九八四年12月22日、天皇主義右翼・日本国粋会金町一家西戸組組員の兇刃によって虐殺された佐藤満夫監督の遺志をひき継ぎ、その後結成された「山谷」制作上映委員会を中心とした多くの仲間たちが協力し完成させたものである。

しかし、映画完成直後の八六年1月13日、佐藤のあとを受け、実質的な監督として現場をリードした山岡強一が同じく金町一家の放ったテロリストによって狙撃・射殺されるという事態にたち至った。私たちは、この二つの「死」に「この時代の暗黒」を見ざるを得ない。

山岡は、友人に宛てた手紙の中で、この映画の前提として「①一九八四年12月22日佐藤監督虐殺の現実、②それは山谷の現在、③同時に今日の時代状況、④しかも、労働者支配から労務者支配への開始、⑤この搾取と支配の二重構造の中に加速化される差別の現実、⑥それを統合=統治するものとしての天皇制、⑦天皇制という日本主義と資本自体の運動法則からする越境の亀裂は侵略戦争を必然化、⑧しかも、この支配権力の本質は、朝鮮、台湾に対する植民地支配とアジアに対する侵略戦争の延長、⑨従って、労務者支配と強制連行は天皇制と侵略戦争動員を撃つものとして捉え返さねばならない」と書き記している。

山谷(寄せ場)の現実を映画に写し撮ろうとすることは、まさにこのようなことを透し見ることにほかならない。
この映画には実に様々な問題が詰め込まれている。路上手配と暴力支配、被差別部落問題、在日朝鮮人問題、先行的保安処分、地域排外主義、下層差別、そして台頭するファシズムの芽……。しかもそれらは別々に存在するのではなく、寄せ場に集中的にあらわれるこの国の差別・支配構造そのものでもあるのだ。映画に写し出されるひとつひとつの事柄は、寄せ場に固有の問題ではなく、私たちが生きているこの社会の隠された実相であり、日本近代化一〇〇年の実体である。

カメラは佐藤監督の「死」と、それに続く反撃の暴動に突き動かされ、寄せ場労働者の一日と一年を追い、更に、現在の寄せ場の原点ともいうべき地点にまで降りたっていった。

しかしこの映画は、そうした「重い」テーマを背負いながらも、決して沈んだ表情は見せない。そうすることは、この地に住み、生活している者たちの流儀ではないからだ。社会から隔絶され、どこか遠くにあると思っている寄せ場は、私たちのすぐ横、すぐ隣りにあることがわかるだろう。それは、絶望の深さを知り抜いた者が、その果てにつかんだギリギリの明るさである。寄せ場はこの社会の「現在」を照らし出すと同時に、時代の「予感」を孕む磁力に満ちた「都市」そのものである。