引続く棄民政策と被ばく労働者

山岡強一虐殺30年 山さんプレセンテ! 第2回

なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)

 被ばく労働問題を運動に組み込めなかったこと

ぼくが最初に、この映画『山谷―やられたらやりかえせ』を観たのは、山岡さんが殺されて4カ月後の1986年5月のことです。当時ぼくは某工業大学の3年生だったのですけども、東大の五月祭で農学部が毎年面白い企画をしていると聞いて行ったところ、この映画の上映でした。じつはその頃のぼくは山谷という所など全く知らなかったので、この映画を観て非常に衝撃を受けました。というのは、ぼくの大学は工業大学ですから建築とか土木の学科もあるわけですが、でも、その産業の末端で、こんな労働実態があるなどということは教えないからです。
この時、上映後、現地報告に来られていた日雇全協(全国日雇労働組合協議会)の方にお会いし、自分の大学でも是非上映会を開催したいと相談をしたところ、上映委員会の方を紹介してくださった。そこからぼくは山谷に関わることになりました。
じつは、ぼくがこの映画を東大の五月祭に観に行った日は小雨の降る日だったのですが、その雨にびくびくしながら出かけたという記憶があります。それはなぜかというと、その前月の4月26日にチェルノブイリ原発事故が起き、放射能が風に乗って日本にも達しているので、雨にあたるのは危ない、という情報が流れていたからです。
ぼくの大学では、その年の秋の学園祭で『山谷』の上映会をやりましたが、その前に学内の社会系サークルが、公害被害者や被ばく労働者の撮影で著名な写真家・樋口健二さんを招き、講演会がありました。その時、樋口さんが話した「山谷、釜ヶ崎など寄せ場の労働者が、一番最初の除染現場、一番酷い環境で働かされている」という指摘も、ぼくには衝撃的でした。
そういう経緯もあって、ぼくは山谷に関わり始める最初から被ばく労働者問題というのがずっと頭にあったのですけれど、山谷での労働運動では、被ばく労働問題に対するきちんとした取り組みはできませんでした。それにはいろいろ理由があるのですが、そこは時間がないので省略します。
ですから、3・11の原発事故が起こった時に一番最初にぼくが思ったのは、山谷の中で被ばく労働問題についての取り組みをしてこなかったことへの、もの凄い後悔でした。
あの時、ぼくたちは、爆発する福島第一原発の映像と、ベントをするとかしないとか、海水で原子炉を冷却するとか、本当に手の付けられないような状況を伝えるテレビの報道を、為すすべもなく見ているしかありませんでした。誰かが原子炉の近くに行って作業しなければならないのではないか、と日本中の誰もが感じていた。でも誰が現場へ行くのか?
ぼくらはこの社会で最も虐げられている労働者の労働運動に取り組んできたけれど、被ばくを避けられず、そしてある確率で死が避けられない被ばく労働者の問題にきちんと取り組んでこなかった事実に、福島原発事故により直面したわけです。
実際の話、通常の運転でも、原発は被ばく労働者なしには動かないのです。福島原発事故が起こる前、例えば、慶応大学の物理の教員だった藤田祐幸さんが、横浜寿町の寄せ場で「労働者が働くことを拒否すれば、原発は止まるんだ。被ばくしながらそんな仕事をすべきではない」と警鐘を鳴らす話をしていたことを、ぼくは憶えています。でも、ぼくたちは、そのことを運動に組み込むことはできなかった。98年に行われた福島第一原発でのシュラウド交換の時は、「原発に行くな!」というビラを藤田さんとともに労働者に撒いてキャンペーンをやりましたが、それも一時的な取り組みでした。

「被ばく労働自己防衛マニュアル」

しかし、福島原発事故が起きてしまったあの時点において、危険だから福島第1原発などへ行くな、と言えたであろうか。誰かがその作業をしなければ壊滅的状況になるかもしれない、そんな緊急事態が起きていたからです。そういう大きな矛盾に直面し、これはやっぱりぼくらにも責任があるんじゃないかと、ぼくは強く感じました。
そしてぼくはその直後に、「被ばく労働自己防衛マニュアル」というものを作りました。それは、ぼくが山谷に行き始めた頃、寄せ場の日雇全協が作った「労働者手帳」をベースにしています。「労働者手帳」には、労働者が労働に従事する際の様々な注意事項や、下層の労働者が歴史的にどういう時代の中でどのように生きてきたか、殺されてきたか、という労働史などをコンパクトにまとめられています。それを参考に、原発労働者の雇用問題や放射線に関する問題点を列挙して作成したのが「被ばく労働自己防衛マニュアル」です。
先ほどぼくは福島原発事故に遭遇して、ぼくたちが被ばく労働問題にきちんと取り組んでこなかったことに強く後悔したと述べましたが、被ばく労働問題にきちんと取り組んできた運動というのは、いくつかの事例を除いて日本全体でもそれほどありません。ごくわずかの例としては、例えば岩佐訴訟や長尾訴訟のような労災認定を要求する裁判や、80年代に敦賀原発で原発下請労働組合が結成されたという事例がありますけれど、それ以外には、下請け被ばく労働者の労働運動について継続的にきちんと取り組み、その全貌の分かっている人はじつはほとんどいなかったのです。
ですから、これまでこの問題に取り組んできた方、警告を発してきた方、例えばさっきちょっとご紹介した藤田祐幸さんとか写真家の樋口健二さん、あるいは敦賀原発で組合を作った斉藤征二さんなど多くの方々に教えを乞うかたちで、この「被ばく労働自己防衛マニュアル」は作りました。
この「マニュアル」の制作過程で様々な関わりができ、この問題を運動として取り組んでいくためには、それまでやりきれていないみんなが集まって、知恵を出し合っていくしかないと感じました。そしてこうした取り組みが、その後、被ばく労働ネットワークというネットワーク組織を作る契機となったわけです。
ぼくたちは、下請け労働者で、とりわけもっとも被ばく量の多い所に送り込まれている労働者たちとどのように繋がり、その人たちを守りながら運動を進めていけるかという点を強く意識していました。当初、ぼくらは福島に拠点がなかったので、福島現地の労働組合に協力していただいて、そこでビラまきを行ったり、除染活動をしている労働者から相談を受けるという取り組みを始めました。

 ピンハネされていた危険手当

国の除染事業が本格的に始まったのは、福島第一原発事故の起きた翌年の2012年からですが、除染に行っていた知人(ここではAさんと呼びます)から「危険手当を払うと業者から言われたのだけれど、仕事や宿舎が同じなのに人によって金額がだいぶ違う。そのへんのことを調べてくれないか?」という相談を受けました。じつはぼくらは、その相談を受けた時、「危険手当」というものを知りませんでした。そこで調べてみると、除染事業を所轄している環境省のホームページに元請けが入札する際の工事仕様書があり、そこには除染作業に従事する全ての労働者に1日1万円の危険手当が出されることが記されていました。
で、そのことをAさんに伝え、仲間の労働者にも伝わりました。既にAさんを含む労働者仲間は業者に説明会を求めていましたが、その説明に納得しない4人が現地労組の組合員となり、「国から危険手当が出ているはずだ。それを労働者にきちんと支払え!」という団体交渉を業者と始めました。これがたぶん日本で最初の除染労働者による労働争議の発端なのです。
しかし、この時分かったことなのですが、じつは危険手当が出ていることをほとんどの雇用業者が知りませんでした。というのは、除染作業は、環境省からゼネコンが受注していて、その下に何次もの下請け業者がいるという構造の下で行われているからです。除染作業は公共事業なので、元請けのゼネコンは、設計労務単価で1人当たり1万5000円(2013年)、プラス1人当たり1日1万円の危険手当を国から受け取っています。けれども、そこからいくつもの下請けを経て実際の雇用は行われていて、下位の業者は詳細な明細のない人工(にんく)いくらの契約で上位会社から請け負っているので、本来そこに業者が手を付けられない危険手当が含まれるべきであることを知らなかった。結局、労働者の受け取るべき賃金のかなりの部分が、ゼネコンや上位の業者がピンハネしていたわけです。この争議のことを朝日新聞が取り上げてくれたことで、危険手当問題が一挙に日本中に広まったという経緯があります。
その新聞記事が出ると、ぼくたちの連絡先にひっきりなしに相談が飛び込んでくるようになるのですが、相談の内容は危険手当の問題だけではなく、時間外勤務手当が支払われていないことや、労災がもみ消されているケース、暴力支配が行われている業者など、様々な問題がバラバラと出てきました。そのほとんどの労働者が、雇用契約書すらありませんでした。少なくとも除染に関していえば、ウソ・騙しや違法状態が蔓延していました。
そういう除染作業を誰がやっているのかというと、収束作業などもそうですけれども、半分ぐらいは福島の労働者、あとの半分は全国各地から集まって来ています。最近は外国人労働者もけっこう増えています。
ぼくたちは、3・11福島原発事故を契機に被ばく労働問題について本格的な取り組みを始めたのですが、その時点において山谷はどういう状況であったかということについてちょっと見ておくと、山谷にはほとんど仕事が無いという状況になっていました。そして山谷のドヤでは8割以上が生活保護を受けて暮らしている人びとで占められるようになっていた。もちろん山谷でドヤ暮らしをしていて、そこから仕事に行っている人もいましたけれど、それは少数者になっていた。つまり、山谷は、労働市場としてはほぼ壊滅していたのです。つまり、山谷には労働という現場がほとんど無くなっていて、棄民化された状態の人たちの集住地域になっていたのです。

とんでもない条件で働かされる労働者たち

けれども、被ばく労働問題に取り組み始めてみて痛感させられているのは、被ばく労働者たちの明日の状況は、現在の山谷の状況なのではないかという思いでした。先ほど皆さんが観た『山谷』のドキュメンタリー映画に提起されているような、労働者が動員されて搾取の中に突っ込まれ、さんざん絞りあげられ、最後には棄民化されていくという流れが、福島原発事故の収束作業や除染作業において、いま現在進行形で観て取ることができるからです。
ぼくらが相談を受けてきた、まともな労働者として契約もされず、とんでもない状況で働かされている労働者たちの、少し具体的な事例をご紹介します。
これは福島で除染作業に従事しようとはるばる鹿児島からやってきたBさんという人の話です。Bさんは鹿児島で失業して職探しをしていたのですが、なかなか働く所が見つからず、ネットで見つけた福島での除染作業の仕事に応募しました。作業員を募集していた業者に連絡すると、「日当は1万5千円。すぐに車で来なさい」と返事がもらえました。Bさんは奥さんともトラブルを抱えていたので、離婚して自宅も売りに出し、そこでの生活を全て清算して出発しました。そして指示されるままに大阪に向かい業者に会ったところ、日当は1万2千円だと言われました。もう帰るところもないので泣く泣くこれを飲んだBさんは、高速は使わず下道で福島まで行くよう地図を渡されました。何とかいわき市に着くと、宿舎に空き室がないので、今晩はマンガ喫茶に泊まってくれと言われ、最初の一夜を過ごしました。そして次の日からは業者の経営する中古車店の倉庫の片隅をあてがわれ、しばらくここを住居にしてくれと、マットと寝袋を与えられ、寝泊まりさせられていました。そこから1週間ほど大工の手元の仕事をさせられた後、除染ではなく「現場は福島第一原発に決まった」と言われました。しかし、実際に仕事に就けたのはほぼ1カ月後でした。待機が続いただけでなく、食費は自己負担しなければならなかったので、手持ちのお金はたちまち底をつき、業者に借金しなければならなくなりました。
Bさんは、ここではとても働けないと思い、他の業者の所に面接に行きました。「今、どちらの会社で働いているのですか?」と訊かれたので、「××建設です」と答えたところ、「あそこは○○会(ヤクザ)だから…」「うちが潰される」と断られてしまいました。それでBさんは困り果て、ぼくらの所に相談に駆け込んだというわけです。
じつはこういう業者が少なくないんですね。なにしろ元請けから2次、3次の下請けはまだいいほうで、実際には6次くらいまで下請けがあるといわれています。そういう末端の下請け業者には、正式な下請け業者としての資格を有してないだけでなく、法人登記もなく、携帯電話1本で人集めして、ただ右から左へ労働者を送り込むだけという所が少なくないのです。こういう業者は、もちろん労働者と契約など交わしません。
ある除染業者などは、古民家が宿舎ですと称して人集めをし、実際には山の中の壁が破れ床が抜けたような廃屋に労働者を寝泊まりさせていたというケースもありました。食事は朝晩のみで、その食事もおかずは目刺し数本と野菜一掴みというものでした。さすがにこれは数少ない事例のようですが、労働者を暴力的に拘束して働かせている業者もいます。
こういうとんでもない業者というのは、もちろん一部であって全部ではないのですが、けれども除染作業や収束作業では、違法派遣で労働者を雇用することが普通に当たり前のことのように行われ、そのことが許されているという構造的な問題のあることは否めません。

 搾取の最末端から棄民となる――80年代の山谷と同じ状況

被ばく労働というのは、ある確率でガンになって死ぬということが前提になっている仕事です。そういう仕事に労働者を従事させるのは問題ではないか、と山谷に通い始めた当初から憤りを感じていました。
しかし、震災後にその問題に取り組み始めると、被ばくの問題以前に、基本的な労働問題、前述したようなデタラメな雇用問題に直面しました。ぼくたちが80年代半ばに山谷で取り組んでいた状況が、そのまま放置され、福島にも同様に存在しているという事実に対して、ぼくは愕然としました。
現実問題として、ともかく労働者の場合は、賃金の問題というのが当面一番大きな問題なわけですから、ぼくたちは最初の取り組みとしては、雇用者に対して労働者の当たり前の権利をまともに実行させることが必要だということで、労働相談や労働争議を積み重ね、国や元請けとの交渉を並行して行うという活動を2012年から続けてきました。
先ほども述べましたように、この問題は構造的な問題なので、個別の問題をそれぞれ解決すれば済むという話ではありません。原発事故直後は、収束作業に対して関心が集まりましたので、メディアも注目して問題点を突いた報道をしたため一定程度は以前よりは改善したところもありますが、根本的な問題の解消には未だ至っていません。とりわけ、収束作業の場合は、発注者が東電なので、契約関係がすごく見えにくく、賃金や危険手当などが今でもかなりグレイな感じは否めません。
というわけで、この映画の中で活写されている、過疎の地域から、あるいは貧困から、不当な労働に突っ込まされざるを得ない労働者たちがいて、かれらが搾取の最末端で使い捨てられ、最後は棄民となる状況、そのことが今、福島で再現されているのだということを、ぼくは福島に通い始めて改めて感じたわけです。

ある割合での死を容認されている被ばく労働

次に、被ばく労働の本質的な底知れぬ問題点、放射線被ばくの問題について話します。
被ばく労働者は、今、平均で年間20ミリシーベルトに達するとだいたいクビになります。少し大きな会社やまともな業者だと配置転換され、解雇はされませんが、前述したように実体の怪しい業者に不安定雇用されている場合は、仕事ができなくなれば即お払い箱となります。線量が危険水域に達したらクビというのは、本来労基法上は問題なわけですが、収束作業や除染作業に従事している被ばく労働者に対してはかなり多く当たり前のようにそれがまかり通っているのです。
では、多くの被ばく労働者がその制限値に達すると仕事ができなくなるという20ミリシーベルトというのはどういう数字なのでしょうか。これは基本的に原子力産業を進めているICRP(国際放射線防護委員会)が被ばく労働に従事する者に対して定めた被ばく放射線量の許容値で、日本でもこの数字を適用して5年間で100ミリシーベルト(年平均20ミリシーベルト、ただし1年で50ミリシーベルトを超えない)を限度と定めています。この20ミリシーベルトという数字は、人が18歳頃から働き始めて、仕事を終えるまでの期間を大体50年としますと、1年間に20ミリシーベルトを浴びた場合、50年間で1,000ミリシーベルト(=1シーベルトという値になります。その値を浴びる続けると、毎年0.1%ずつガンで死ぬ人が増えていくと見なされています。ということは、この被ばく放射線量許容値というのは、毎年0.1%の被ばく労働者がガンで死ぬということを、ある意味容認しているということも言えるわけです。
0.1%という数字がけっこう大変な数値だということは、例えば現在、福島第1原発の現場では、1日7,000人の作業員が働いているわけですが、その0.1%ということは7,000人のうち7人がガンになって死ぬという確率になります。
じつは、産業全分野の労災で亡くなる人のリスク確率は0.1%とされていて、被ばく放射線量許容値はそれと同じ数値が設定されているわけです。これは産業の利益とリスクとのバランスを考慮した場合、容認できる数値であるという位置付けなんですね。しかし、他の労働での労災は原理的にはゼロに近づけることができるけれど、被ばくを前提とした仕事は、それを完全に防ぐためには100%鉛で覆ったロボットスーツでも着て作業しない限り被ばくはするのであって、原理的にリスクをゼロにすることはできない。ですから、じつはICRPでさえ、しきい値はなく被ばく線量に応じて影響が出る可能性があると言っている。つまり、被ばく労働においては、0.1%の労働者がガンで死ぬということを、あらかじめ容認するしか術がないわけです。そこが他の労災と被ばく労働のリスクの本質的に違う点なのです。

 二重の意味での棄民労働

被ばく労働というのは、不当な雇用問題に加え、被ばくというのが避けられない労働という意味で二重の意味で棄民労働だ、と思わざるを得ません。
収束作業に従事した労働者は、3・11以降後、今では2万人を超えていますが、その中で国がきちんと責任をもって健康診断している人は、じつは900人程度です。もう少し具体的に見ておきますと、事故発生当初から同年12月に野田首相(当時)が収束宣言をするまでの期間、国が特例緊急作業と位置付けた収束作業に従事した労働者が主な対象で、50ミリシーベルト以上の被ばくをした人には白内障の検査、100ミリシーベルト以上被ばくした人にガン検査を、国は行っています。しかし、50ミリシーベルト未満の人は、その後の職場の健康診断で十分なので国は何もしない、ただし検査結果のデータは提出せよ、という対応です。つまり、国は、緊急事態宣言を発して労働者を最悪の危険な現場に突っ込んでおきながら、そのうちの900人程度しか国の責任で健康管理をフォローせず、残りの者は切り捨てているのです。50ミリシーベルト未満でもしきい値などなく、確率的にリスクを負っていることは明確なのにもかかわらず、国は対応をしない。これぞまさに棄民ではないか。と、ぼくは思いました。
日本の被ばく労働問題に対する対応は現在までのところ、そんな状況なのですが、しかし世界の原発所有国を展望しても、被ばく労働問題にきちんと取り組んでいる国は、じつはまだほとんどないというのが現状です。例えば、ドイツのように近年反原発運動が活発になり原発ゼロ宣言を打ち出した国でも、反原発運動の中でやはり被ばく労働問題というのが置き去りにされてきたという指摘がされています。

 被ばく労働についての国際連帯

今年はチェルノブイリ事故30年ということで、来月、ドイツで開催される反原発集会にぼくらの仲間が1人、呼ばれて行きますが、最近は他の国の運動機関からも「福島で働いている労働者の声を聞かせて欲しい」という話がよくあります。外国のメディアからの取材も増えています。けれども、被ばく労働問題に対する関心はやはり海外でも希薄な感じがします。
そういう思いもあって、ぼくたちは今、被ばく労働問題は日本から発信していかなければならないという思いと、国際連帯ということを強く意識し始めています。その取り組みの第1弾として、来週、「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム2016]」という催しが東京で開催されます。その中で、福島第一原発周辺へのツアーを行うとともに、福島県いわき市でも集会を行います。このフォーラムで、ぼくたちは被ばく労働問題の分科会とシンポジウムを準備しています。チェルノブイリ原発事故で収束作業に従事した労働者2人をウクライナから招きますし、世界で一番原発を使っているフランスの原発施設で下請け労働をしているフランス人労働者や、お隣の国・韓国からも原発で働いている2人の非正規労働者をゲストにお呼びしています。
核と被ばくに反対していこう!というフォーラムなのですが、もちろん各国それぞれ事情は異なりますし、原発に対する考え方にも温度差があります。その中でも、末端で働いている労働者にはある種の共通性があるのではないかという思いから開催する集まりなので、自分たちがどうやってこの問題を受けとめて、取り組んでいくかということを大いに議論していきたいと考えています。

 国が進める姑息な動きに抗して

ご存知のように、今、国は原発再稼働に向けた取り組みに邁進しています。原子力規制委員会は検査結果の報告において「規制基準はクリアーしているが、原発は絶対安全とは言えない」と述べているのですが、「規制基準をクリアーしたんだから、さあ再稼働だ!」と国は勇み立つ一方で、例えば懸案事項の一つだった事故が起きた際の住民の避難計画なども絵に描いた餅のように現実性のないプランだけを掲げ、再稼働に向け突っ走ろうとしています。
また、上限100ミリシーベルトという緊急作業の被ばく放射線量許容値を、それでは労働者の仕事の場を狭めてしまうからと、いかにも労働者の味方みたいな理由を挙げて、250ミリシーベルトに倍増するため法改正の準備をしており、ぼくたちはこの危険極まる許容値案の改正に対して反対運動を起こしています。
それからこれもご存知の方が多いと思いますが、昨年10月、福島第1原発で働いた後に白血病を発症し現在治療中のCさんが労災認定を受けました。厚労省はこの労災認定を公表する際、科学的因果関係が証明されたわけではないとマスメディアに強調し、救済のために労災認定をしたといったニュアンスの説明を行いました。しかし、ぼくたちは今年の1月にCさんにお会いしお話を伺ってきましたが、決して認定基準を満たしているからと一律に決めるような通り一遍の手続きで認定されたのではなく、多岐にわたる検査データを国は医療機関に提出させていて、さらに親族の病歴までも調べて資料にしています。それらを元に専門家による検討会で審査され、Cさんの白血病は、他の要因というよりも、被ばくによる影響と見なすのが妥当と判断されて、認定されたものでした。それを率直に認めない厚生省の態度は、できるだけ被ばくによる労災認定は避けたい、他の労働者への波及を避けたい、という姑息な方針から出たものとしか思えません。ぼくたちは厚労省に抗議し、説明のやり直しを求めています。
この事例でも窺えるように、国・東電、そして収束作業・除染作業を国や東電から受注している業者が一体になって被ばく労働者の被害の隠蔽をはかろうとする動きが着々と進行しています。一方、そういう状況の中で、ぼくたちは、一昨年から毎年「被ばく労働者統一春闘」という形で、福島での情宣と相談活動、国・東電・元請企業への統一要求書の提出と交渉を行っています。そしてその報告集会を兼ねて、5月には250ミリシーベルト問題や労災認定問題を追求する集会を予定しています。その詳細が決まりましたらアナウンスしますので、われわれの取り組みに合同して参加していただければと思います。長くなりました。以上で終ります。
(2016年3月19日  plan‐B)

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