2011年3月26日

plan B定期上映会

● 実録・山谷「現場闘争」を語る――山谷争議団三十年の闘い

三枝明夫(山谷争議団結成メンバー)&荒木剛(現・山谷争議団)
司会・キムチ(金町戦元行動隊長)

1981年10月4日、山谷争議団が結成されてからはや三十年を迎えようとしている。
映画は、83年秋からのヤクザ金町一家と争議団・日雇全協の、山谷を舞台にした攻防の只中で撮影されていった。撮影の中で二人の監督を亡くしたが、画面に登場する日雇全協派遣団や争議団のメンバーも、その後十名以上が他界している。生き残った者たちも老人化し、きつい肉体労働に体がついて行かなくなり、土建現場からの撤退を余儀なくされつつある。
今回は、そのオヤジたちの重い口を開けさせたいと思う。彼らが何を伝えたいのか、さあ、ご期待というところだが、現場の闘いから離れ「活動家」を引退したものが、過去のこととは言え、皆の前で語ることは、恥の上塗りになるかもしれない。誇れる(?)ものは十数回に及ぶ逮捕歴しかない者達だが、そのこと自体が失敗や敗北の経験の多さでしかない。しかしそこから豊富な教訓も引き出せる可能性もあるということだ。
司会は対金町戦元行動隊長のキムチ。弁士は、山谷争議団と日雇全協の結成メンバーで、止めた後、二十数年ぶりにこういった場に顔を出すようになった三枝明夫、今も現役として争議団を守り抜く荒木剛の二人。
話したいことは山程あっても短い時間の中で、今回は映画の中でも出てくる「現場闘争」について焦点を当て、オヤジたちの「昔はこうだった」という戯言の中に、今に繋がるヒントが、何か一つでも隠れていればと祈るような気持ちで、しかし、一世を風靡した、少し古いが大川橋蔵や中村錦之助、あるいはもっと古ければ、ハンフリー・ボガードやゲイリー・クーパーにも劣らぬ顔ぶれを気負って、登場しようと目論んでいる次第です。乞うご期待。

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