2016年5月21日

plan-B 定期上映会 <山岡強一虐殺 30年 山さんプレセンテ!>

第3回  「生きてやつらにやりかえせ!――歴史・民族・暴力」
講演 / 鵜飼哲(フランス文学・思想)

「山岡強一虐殺30年   山さん、プレセンテ!」シリーズの第3回目。今回は鵜飼哲さんをお招きして「暴力」をめぐる問題を考えていきたい。
寄せ場労働者の自己表現(力)のひとつは「暴動」だ。あるひとは暴動を「被抑圧者の言葉」であると言った。実際に、どんな切っ掛けで起ころうが、寄せ場の暴動は常に目に見える権力者(交番、警察署…)へと向かう。1959年末から60年代を通して十数波にわたって巻き起こった山谷の暴動もそのようなものであった。
寄せ場の活動家たちがまず直面した課題は、地から湧き上がる、そうした「暴力」とどう向き合うかであった。その中から生み出された合言葉が「黙って野たれ死ぬな」であり「やられたらやりかえせ」である。
いま私たちは、メディアなどを通じて世界中の「暴力」を見聞きしない日はない。北アメリカやヨーロッパ各国による空爆攻撃、ISの台頭、内戦…、それらが生みだす難民たち、そして行き場のない人びとを取り巻き、排除しようとする「排外主義」という暴力。パリやブリュッセルから聞こえてきた爆発音は、もうひとつの「被抑圧者たちの言葉」なのか?   私たちはその「言葉」とどう向き合い、どんな自分たち自身の「言葉」を紡ぎ出し発することができるのか?

鵜飼さんには、中東、アフリカ、ヨーロッパ…でいま起こっていることを、自身の経験を踏まえて語っていただきます。奮ってご参集ください。(なお、今回も映画上映は午後6時〜、トークは午後8時くらいからです。お間違えなきよう、ご注意を。)

2016年3月19日

plan-B 定期上映会  <山岡強一虐殺 30年   山さんプレセンテ!>

第2回   引続く棄民政策と被ばく労働者
講演 / なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)

この3月23日から「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム(反核WSF)2016」が開かれる。福島原発事故から5年。自民党政権は自分たちの責任には頰被りして原発再稼働や原発輸出に突き進んでいる。反核WSFはこうした現状に異をとなえ、国内の反核運動と世界の運動をつないで「もうひとつの世界」を実現していこうという試みのひとつだ。
核技術開発は軍事利用や商業利用にかかわらず巨額の投資を必要とする国家規模のプロジェクトだ。そこには最高度の危険をともなうがゆえの秘密性や暴力・強制が必ずまとわりついている。また原料のウラン採掘から核のゴミ処理にいたる核燃料サイクルは、被ばく被害を地方や下層に押しつける差別性に貫かれている。いっぽうで「安全神話」をこねあげ、何の根拠もない「規制値」を上げ下げして、ウソをウソとも感じなくなった御用学者やマスメディアをつくりあげ、他方、税金や電気料金で吸い上げたカネを積み上げ、原発立地地域をがんじ搦めに縛りつけて被ばく被害のリスクを一方的に押しつけている。原発は(たとえ、万が一、放射能が漏れ出さなくとも)人格破壊・地域破壊の極みであるといえる。
そして被ばく労働者たち。福島原発事故以前から、全国の原発の現場でもっとも危険な作業に携わってきたのは下層の労働者たちである。重層的下請構造のシワ寄せに加え、イノチを切り売りする被ばく労働の実態は、いま除染労働・廃炉作業が進むなかでより一層の過酷さを増している。3・11以降にこのクニで進行しているのはむき出しの棄民政策と被ばく労働の増大である。「山さん、プレセンテ!」の第2回目は寄せ場からの視点でこの問題を考えてみたい。
お話は、山谷での活動歴も長く、また今回の反核WSFの呼びかけ団体でもある「被ばく労働を考えるネットワーク」のなすびさん。いつもより上映時間が早まります(午後6時〜上映)。ご注意を。

2016年1月16日

plan-B 定期上映会  <山岡強一虐殺 30年   山さんプレセンテ!>

第1回   象徴天皇制の<変貌>
講演 / 天野恵一(反天皇制運動連絡会)

1986年1月13日の山岡強一虐殺から、30年がたつ。
2016年のplan-B<定期上映>では、山岡強一の山谷(寄せ場)での闘いを振り返り、彼が何と闘い、何を考えてきたかを、あらためて見つめなおしてみたい。
その第1回目は、天野恵一さんによる「象徴天皇制の<変貌> 」。
1989年1月7日に昭和の天皇・裕仁が病死し、長男の明仁が後を継いで「平成」がスタートした。それから27年、明仁天皇は裕仁から何を受け継ぎ、何を受け継がなかった(フリをしていた)のか?
夫婦で被災地を見学して回ったり、「賢妻」美智子のクローズアップ、長男の嫁さんへのバッシング、次男一家、殊にその長女の売り出し…と話題には事欠かない天皇ファミリー。イメージはずいぶん変わったように見えるが、果たしてその本質は? そもそも「象徴天皇制」とは、どのようなものなのか?
そしていま、戦争を前提とした法律を勝手に作り上げた自民党政権が思い描く「天皇制」とはどのようなものか?   わたしたちは、それにどう対抗してゆくのか?
天野さんには、山岡強一の思い出、寄せ場の闘いへの思い入れ、そして現・天皇制をめぐって、自在に話していただく。

2015年11月14日

plan-B 定期上映会

相倉久人の居た風景
講演 / 平井 玄 (批評家)

相倉久人さんが亡くなった。7月8日、享年81歳。相倉さんは1950年代からジャズ批評を手がけ、70年代以降はロック、ポップス、歌謡曲にまで守備範囲をひろげていた。plan-Bでも80年代からずっと「重力の復権」というパフォーマンス・ジョッキーを続け、私たちの上映会でも87年11月にトークをしていただいた。
今回は、その相倉久人さんの追悼の意味をこめた上映会としたい。
お話をお願いするのは平井玄さん。上映委の初期メンバーでもあり、なによりニホンのジャズシーンとは切っても切り離せない新宿という土地に生まれ育った。平井さんは先ごろ『ぐにゃり東京』(現代書館)という奇妙なタイトルの本を上梓した。副題に「アンダークラスの漂流地図」とある通り、これは下方から切り上げた逆袈裟切り的都市論ともいえよう。
ジャズはなによりも〈場〉の音楽である。そしてジャズ・スポットとは、点は点でも、交差点というモノもヒトも行き交う場の一瞬間のことにちがいない。相倉さんはそういうスポット(点=場)に立ち続け、時代の半歩先と格闘するコトバを紡ぎ出していった。
もちろん、そうした相倉さんの当代一級の批評言語を読み解くことは大切なことだが、今回は平井さんが「漂流」し、歩きながら見た風景の中の「相倉久人」を語っていただくことにした。

2015年9月26日

plan-B 定期上映会

下層のアナキズム
講演 / 栗原康 (大学非常勤講師/アナキズム研究)

1918年、米騒動がおこった。のべ人数1000万人。未曾有の大暴動である。大正時代のアナキスト、大杉栄はこの暴動を大阪釜ヶ崎で目撃している。やばい、すごい。テンションのあがった大杉は、小躍りして群集をあおり、そしてこういった。「市民」がみずからの殻をつきやぶり、ゼロになってみずからの生をいきなおそうとしていると。
およそこの資本主義社会では、しあわせな家庭を築き、そのために充分なカネをかせぐことがもとめられている。それをいやがったり、うまくできなかったりすれば、人間じゃないようなあつかいをうける。そしてきまってこういわれるのだ。汝、「市民」になりたまえ。
でも、大杉はいう。ひとがどう生きようとひとの勝手だ。いやなら好きに生きればいいんだし、うまくいかずに虐げられているのであれば、それは「市民」とはちがう生きかたをしているというだけのことだ。その感覚を武器にしてたちあがればいい。みずからの抑圧された存在状況を武器にせよ。オレ、ろくでなし。無数のろくでなしたちが「市民社会」に亀裂をひきおこす。下層のアナキズム。これはいま現在にもつうじることだろうか。そんなことをお話しできたらとおもっている。

《テリーを思って──『山谷』特別上映会》

今回は、私たち山谷制作上映委員会のメンバーだった新井輝久(テリ―)追悼の特別上映会です。
plan-Bでもう部品交換もままならない16ミリの映写機を、30年近くずっと一人でまわし続けた新井輝久。その彼が5月のおわりに亡くなりました――。
●上映時間がいつもの19:00(pm7時)ではなく16:00(pm4時)となっていますのでご注意ください。

7月18日【土】
16:00〜  映画「山谷─やられたらやりかえせ」上映
監督 佐藤満夫・山岡強一 ドキュメンタリー/16mm/カラー/1時間50分

18:00〜20:00  新井輝久(テリ―)をおもう――音と話
出演 小間慶大、天麩羅劇場とその友達たち(伊牟田耕児、おかめ、吉野繁、西村卓也、サトエリ)
野戦之月合唱隊、リュウセイオー龍(踊り)、平井玄、他

20:00頃〜  テリーに献杯

● 場所 plan-B

2015年5月16日

plan-B 定期上映会

「テロルの季節」から──「インパクション」休刊に寄せて―
講演 / 深田卓(インパクト出版会)

左派の運動誌「インパクション」が昨年末に休刊した。1979年の創刊だから(創刊当時は「インパクト」)、35年間、別冊などを加えると200点を超 える ことになる。そのひとつひとつの「特集」をたどってゆけば、80年代、90年代、そして21世紀冒頭の問題群が次々と浮かびあがってくる。
休刊号(197号)の「編集後記」にあるように「この雑誌の周辺に、世代も考え方も違うさまざまな人が読者だったり執筆者になったりして雑誌と絡まりあい、並走しながら時代と格闘してきたのだ」。
そ の第197号の特集は(なんと!)「テロルの季節」。いかにもこの運動誌らしく、時代の予兆を写し取っているといえよう。この35年間は、それ以前の「過 去」と呼ばれる時間帯と切れることなく結びついており、また「未来」とも陸続きの35年間である。わたしたちは何を問題とし、どのような世界を思い描いて いたか?──「インパクション」編集人・深田卓さんをお招きして語っていただく。

2015年3月14日

plan-B 定期上映会

「弾はまだ残っとるがよ、一発残っとるがよ」 ―追悼・菅原文太―
講演 / 藤山顕一郎(映画監督)

昨年11月28日、菅原文太が亡くなった。そのひと月前の11月1日の沖縄知事選挙「オナガ雄志 うまんちゅ 1万人大集会」で、彼は映画『仁義なき闘い』における台詞を引用した応援演説で会場の1万3000を超える人びとに熱い想いを語った――
「仲井・・真・さん、弾はまだ残っとるがよ、一発残っとるがよ」
「この台詞にこめられた意味は彼自身の存在論的意味に於いて、あまりにも政治的だ。これほど現在、この国に於ける政治状況全般を比喩的に包括し方針を提起した言葉は在るまい、少なくとも僕はそう感じる。それは約40年前、東映京都撮影所の熱気に満ちたセット、深作欣二監督の発する、ヨーイ・スタートの掛け声、カチンコが鳴る、〝弾、もう一発残っとるがよ〟と、同じ台詞が彼の肉体から発せられる。カチンコを打つのは僕だ。レインコートに赤腕章を巻いている。すでに終わったはずの冬季闘争なのだが、僕は東撮地区から始まっていた『東制労闘争』に参加していて臨戦態勢を解いてはいなかった。そんな僕に対し彼は、いつも暖かい目線を送ってくれていて……」(藤山顕一郎)
12月「今、最も危険な政権(菅原文太の言葉)」である安倍政権の仕掛けた総選挙で、沖縄では自民党候補に対する「オール沖縄」候補が4戦全勝、それを彼が知ることはなかった……
今回、『仁義なき闘い』シリーズで助監督をつとめ、菅原文太と公私とも懇意にしていた映画監督・藤山顕一郎さんに「菅原文太」を語ってもらう。

なにが意気かよ! Part2 ─佐藤満夫監督虐殺 30年の集い─

12月13日(土)pm4時〜

◯入場料:2,000円
◯交流会:500円

【第1部】 pm4:00〜
映画『山谷─やられたらやりかえせ』
監督 佐藤満夫・山岡強一
ドキュメンタリー/16mm/カラー/1時間50分
●上映後、参加者からの発言あり

【第2部】 pm6:20ころ〜
●対談 小野沢稔彦 vs 天野恵一
「佐藤満夫と同時代の映画を語る」
小野沢稔彦(映像作家・批評家、著書『大島渚の時代/時代のなかの大島 渚』『境界の映画/映画の境界 映画は危機を挑発するか!』)
天野恵一(反天皇制運動連絡会、著書『災後論』『「日の丸・君が代」じかけの天皇制』ほか多数)
●会場からの発言あり

【第3部】 pm7:50ころ〜
●「この時代に、ブレヒトを歌う」
歌/演奏:こぐれみわぞう、大熊ワタル、他

※【番外】 〜11:00ころまで
●交流会(呑み会)

2014年10月18日

plan-B 定期上映会

この真夏の悪夢――イスラエルの50日にも及ぶガザへの破壊と殺戮
講演 / 三井峰雄
(印刷業)

7月8日に始まったイスラエル軍のガザ攻撃は、2000人以上の死者と40万人を超える避難民を出して、8月26日にようやく止まった。市街地や避難所 までも執拗に攻撃を加えて市民を殺傷し、また社会インフラを徹底して破壊するなど、この50日間の攻撃がガザにもたらした災禍は大きく、傷は深い。同じ時 期、ヨルダン川西岸では新たな入植地建設が始まり、家屋破壊と土地の収奪、入植者による組織的暴力が際限なくつづいている。さらにイスラエル国内ではアラ ブ系住民への排撃や、反戦デモに対する激しい攻撃がなされている。
いまから32年前の夏、北部国境を越えてレバノンに侵略したイスラエルは、やはり市街地への攻撃をつづけ、PLO撤退後のパレスチナ人キャンプでは、非 武装の住民の大虐殺事件があった。いわゆる「中東和平」の枠組みが自らの既得権益に矛先が向けられそうになると、いつも逆切れしてへ理屈をこね、全てをご 破算にしようとするのがイスラエルだ。
ガザ攻撃に先立つこと2ヶ月、来日したネタニヤフ首相は、東京と京都で安倍政権の歓待を受けた。またガザ攻撃のさなかでさえ、現役閣僚や国会議員団がイ スラエルを訪れている。防衛、治安の面での関係強化がうたわれる両政府の連携は、いったいどんなおぞましい「繁栄」を思い描いているのか。おぬしも悪よ のー、ではすまないのだ。