2011年9月3日

plan B定期上映会

みんなの公園――野宿者排除と「公共」のアクティヴィズム
浜邦彦(早稲田大学教員/ストリート研究会)

2007年10月、野宿者が暮らしている国道246号線渋谷駅 。ガード下に、野宿者への「移動のお願い」が掲示された。「お願い」の主は「渋谷アートギャラリー246」と記されており、なるほど、ガード下と地下道一帯の壁には、いかにも稚拙な「アート」の装飾がほどこされていた。2009年8月,渋谷区はナイキジャパン社と、区立宮下公園の名称を「宮下NIKEパーク」に変更し、有料スポーツ公園への全面改修工事を依頼する基本協定を結んで,宮下公園の野宿者排除に乗り出した。
こうした動きに、いち早く反応したのはアーチストたちである。かれらは「アート」の名において野宿者が排除されることに危機感を覚え、誰もが利用できるはずの公園が私企業の管理する空間へと変貌することに抗議の声を上げた。「246表現者会議」から「宮下公園アーチスト・イン・レジデンス」に至るアーチストたちの闘いは、さまざまな賛同者を集め、野宿者支援の運動とともに、宮下公園の「ナイキ化」を阻止する1年半以上の劇的な活動に結実した。
1980年代の山谷の闘いと、2000年代の渋谷の闘い、その連続と断絶を、「公共」というキーワードから考えてみたい。

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