ウォール街を占拠せよ

―オキュパイ運動について私の見てきた二、三のこと
小田原 琳 
(大学非常勤講師)

小田原です。どうぞよろしくお願いいたします。今、ご紹介いただきましたように、私はもともとはイタリアの歴史を研究しています。それが、去年の10月 に偶然が重なってニューヨークに一週間程行く機会を得ました。その主たる目的は、オキュパイ・ウォールストリート(OWS)を見て来ることでした。
OWSの経緯のなかで、2011年10月というのはごく初期にあたります。その後、占拠運動は非常に広がっていきましたし、またニューヨークの占拠運動 そのものもずいぶん姿が変わってきたということもあって、私が自分の目で見たことは本当にごく一部です。今のウォールストリートや全米の占拠運動の状況の 大きい転換点を目撃したとか、そういうことはありません。ですから今日は、私たちが去年の三月に震災を経験して、そのあと皆さんの中にもデモなどに行かれ ている方がいらっしゃると思いますが、主として原発の問題に関してこの社会が大きく動いている、そういう状況を踏まえたうえで、占拠運動とはどういうもの なのかを、私なりの観点からお話ししたいと思います。

OWS以前

まず、OWSを私たちがどのように見たか、ということを振り返ってみますと、2011年は本当に世界が動いていた時でした。2010年の終わりくらいか ら、いわゆる「アラブの春」や、今も続いているギリシャやスペインなどの欧州の経済危機と緊縮財政をめぐって大規模な抗議運動が起こっていた。そういうも のを見ていた時に、私たちは震災を体験したわけです。自分たち自身も、何か根底から大きく変えられるような、そういう経験をした。そして、2011年4月 に高円寺で1万5000人が集まる「原発やめろデモ」が行われたのを皮切りに、9月には明治公園で6万人集会がありました。ちょうどその頃、ウォールスト リートの占拠がはじまりました。私たち自身が、何かを抗議する群衆のなかに身を置くという経験をしながらこのウォールストリートの占拠を見たということ は、それ以前とは、そんな世界を見ていなかった時とは全然違う見方をしたと思います。少なくとも私はそうでした。私はイタリアが専門ですから、以前はアメ リカにあまり興味がありませんでした。「悪の帝国」みたいなイメージしか持っていなかった。でもそこに住んでいる人々が、「私たちは99パーセントだ」と いうあの有名なスローガンを叫んで動きだしている。これはどういうことなんだろう。そう思いながらウォールストリートに行きました。

経過

OWSが占拠していたズコッティ公園は、マンハッタンの南端にあります。もっと南には、グラウンド・ゼロがあって、そことウォールストリートの間にあるのがズコッティ公園で、そういう意味ではすごく象徴的な場所です。「オキュパイ・ウォールストリート」(http://occupywallst.org/) という公式サイトがあるので、そこで見られる写真を見ながらご説明します。これが占拠しているズコッティ公園というところです。これは昼間で(写真1)、 夜になるとこんな感じにテントを張って寝ていました(写真2)。占拠運動が始まったのが2011年9月17日と言われています。それ以前に、夏頃から、ど ういうふうに占拠したらいいかという会議があったそうです。ニューヨークに行った時に、占拠運動に最初から中心的にかかわってこられた何人かの方とお話し する機会があってうかがったのですが、夏ぐらいから、どういう戦術でいくかとか、運動の中で人々の関係をどういうふうに作っていくかということが、本当に 激しく議論されたということです。最初は、従来型の、例えば伝統的な労働組合など、もともと運動体を持っているような団体が中心になって、そこの人たちを 動員するような形で占拠をやろうと考えていたらしいです。ただ、それではおもしろくないというか、そういうやり方じゃないほうがいいんじゃないかと思う人 たちが、そこからはずれてきて、毎日夜7時にジェネラル・アセンブリー(集会)をやりはじめるようになったということです。それが8月頃です。そして9月 になって、こういうふうに実際に占拠するようになりました。

zuccotipark1 写真1:昼間のズコッティ公園

zuccotipark 写真2:夜のズコッティ公園

写真のように、夜になるとみんなテントを張って寝ています。昼間はたたまれています。私が行ったのは10月の20日前後でしたが、ちょうどこんな感じで した。だんだん寒くなってきて雨も降ってきていましたが、それでも300から400人くらいは毎晩いたと思います。昼間は1,000から2,000人、お 休みの日だと増えるという感じでした。そのように、みんながずっとここにいるではなくて、仕事をして、夜にまたここに来るという人も多かったです。そんな 形で進んでいました。
このズコッティ公園の占拠は、11月15日に大規模な強制排除があって終わってしまいます。現在は、とにかくニューヨークは寒いということもあって、こ こに泊まっている人はいません。日中集まってきて、いろいろな集会をしたり、ジェネラル・アセンブリーをしたりして、夜は帰るというような感じになってい ます。
OWSとズコッティ公園は占拠運動の中心だというふうに見られるようになって、メディアもたくさん来るようになりましたが、現在は、運動は全米各地に広 がっています。最初はズコッティ公園からニューヨークの各地区に広がり、その後、全米に瞬く間に広がっていって、今では2,000くらいあると聞いていま す。いろいろな地域に、いろいろな形で広がっていったわけですが、そうなっていくと、いろいろ課題が出てきました。
有名な「99パーセント」というスローガンがありますけれども、実際に見に行ってすごく印象的だったのは、みんな個々バラバラなことを主張していて、か といってその訴えを是が非でも解決して、何かを勝ちとらなきゃいけないという感じではないんです。それが、この運動の弱さだと、去年の終わり頃にはアメリ カでも日本のメディアでも言われていましたよね。具体的な獲得目標がないということが弱さだと。実際、全米で厳しい弾圧が続いています。例えば、これは 10月に、ブルックリンブリッジで700人が逮捕された時の写真です(写真3)。マンハッタンからブルックリンに渡る橋を行進している時に、逮捕されたも のです。その他にも、これは有名な写真なので皆さんもご覧なったことがあるかもしれませんが、座り込みをしている学生に対して警官がこの赤いスプレー、 ペッパースプレー(唐辛子のスプレー)を、顔色一つ変えずにかけている写真です(写真4)。まったく抵抗していないのに。うしろにいるメディア関係の人た ちも、さすがに非常に驚いた顔をして見ていますね。これはかなり衝撃的な事件でしたが、このように弾圧もどんどん厳しくなっています。しかしそれにもかか わらず、どんどん運動も全米に広がっていっています。これはどういうことなのか。本当に「弱い運動」なのでしょうか?

brooklynbridge 写真3:ブルックリンブリッジでの弾圧

pepperspray 写真4:ペッパースプレーをかける警官

 

だれの運動か

各地に運動が広がるにつれて地域ごとの課題が出てくるので、その取り組みが具体化しているところもありました。この具体的な取り組みについては、また後 でお話ししますが、そこからもわかるように、本当にいろいろな人たちが占拠運動には参加しています。ただ、OWSに関していえば、最初の核になっていた人 たちのなかには、古くから労働運動などをやっている人たちとともに、アナキストのグループがいたと言われています。アナキストといわれてもどういうものな のか、私たちにはあまりイメージがありませんが、かんたんに言えば、既存の制度やさまざまな組織によらない形で、人間と人間の合意にもとづく自由な社会を つくっていこうとする人たちと言えばいいかもしれません。そういう人たちから、従来型とは違う、ジェネラル・アセンブリーというやり方が出てきたそうで す。とはいえ、中心になっているグループがあるわけでもなくて、本当に雑多な人たちが集まってやっているのですが、しかし運動のなかで守らなきゃいけない こととして掲げていることが二つあります。一つは直接民主主義ということ、もう一つは非暴力ということです。これは先ほどのサイトにもはっきりと書かれて います。ただ、直接民主主義と言ったって、それをどうやって実践するんだという話が出てくるわけですよね。それがジェネラル・アセンブリーのやり方や、公 園のなかの共同体づくりになっていきます。公園のなかには、無料のキッチンがあって、寄付された食べ物が無料で配布されます。そのほか図書館や、これも寄 付された衣類を無料でもらえるようなコーナーなどがつくられていました。今は占拠が終わってしまったのでなくなってしまいましたが。そういう、無償でいろ いろなものを交換できたり助け合ったりできるような、理想に近い共同体がつくられていきました。

直接民主主義

これは、ジェネラル・アセンブリーの映像です(「ウォール街占拠2011」http://www.youtube.com/watch?v=INtHFqv5Y7M&feature=youtu.be)。 一人が話したことをみんなで繰り返しています。ニューヨークでは、公園など公共の場所で拡声器を使うことができません。ですから、ジェネラル・アセンブ リーなど、その公園にいる、数百から千人くらいの人が一つの会議をするような時に、会話を伝達する手段がないんですね。それで編み出されたのが、この、 ヒューマンマイクというものです。一人が発言をする。そうしたら、その周りにいるみんなが同じ言葉を発言します。そうやって声を大きくしてみんなに届かせ る。これは、みんなに届かせると同時に、その言葉そのものを共有するという効果があります。これは誰が発言してもかまいません。発言したい人がまず「マイ クチェック」と言うと、周りのみんなが必ず答えるという形でやっています。そういうふうにして、直接、人と人が顔を合わせ討議をする場を作っていく。そう いう方法もいろいろ考えていく。
写真がないのですが、いろいろな種類の「ハンドサイン」というのがあって、今の意見に賛成だとか反対だとか、ちょっと待ってとか、そういうことも全部手 のサインで示せるようにして、数百人という規模でも直接討議できるような環境を作っていく。そういう努力をしています。拡声器を使える地域では拡声器を 使ってジェネラル・アセンブリーを行っていますが、でも言葉を繰り返す、そしてその言葉や言いたいことを共有するというやり方は、各地の占拠運動の中で広 く用いられているようです。それが彼らの直接民主主義を支える一つのやり方になっているということです。彼らは、そのことにはすごく自信を持っていまし た。これは自分たちが編み出した、直接民主主義のための非常にいい手法だと。

〈暴力〉

もうひとつのモットーは「非暴力」です。あえてこう掲げるのは、裏返せば、こうした集合的な運動ですので、暴力という問題が必ず出てくるからとも言えるでしょう。ですから、OWSをとりまく〈暴力〉の問題について、お話ししたいと思います。
第一に注意しなければならないことは、写真でお見せしましたように、警察から暴力をふるわれるということです。私が行った頃は、公園でお となしく寝ている分には、警察が介入することはありませんでした。ただ、占拠運動というのは、公共の場所を占拠する以外に、毎日のように様々な問題につい てデモをします。例えば「今日は金融資本主義の象徴である、非常にあくどいメガバンクのまわりをデモしよう」というような感じでデモをします。そうやって 公園から出ていくと、すごく厳しい弾圧を受けます。多分、この運動では、全米で延べで万を越えるような人びとが逮捕されていると思います。そういう警察の 暴力というものがあることを、まずきちんと認識しなければなりません。弾圧の際には、どんなにこちらが非暴力を掲げていても、日本でもそうですが、タコ殴 りにされてしまいます。さらに、それ以前にすでに非常に多くの人びとが、「我々は99パーセントだ」という表現にも表れているように、仕事を失ったり、家 を失ったりして、資本主義そのものによって傷つけられています。しかし占拠運動に参加している、あるいは占拠運動にシンパシーを持っている人たちが暴力に 傷つけられているということを、メディアが語ることはありません。メディアに出てくるのは、デモ隊がどういうことを、どんな乱暴なことをしたかという話ば かりです。
その中で、特にデモや集会などで、その暴力部隊みたいに言われるのが「ブラック・ブロック」と呼ばれるグループです。これは、何かイデオロギー的に共通 性がある特定の人たちのグループというのではなくて、そういう一群を、戦術的にあえてデモや集会の中につくっています。多くの場合フードのついた黒い服を 着て、黒いスカーフなどで顔を覆ったりしているので、ブラック・ブロックと呼ばれています。なぜそういうグループがあえてつくられるのか、その戦略的な意 味はなにか。彼らが実際に何をするかというと、人に対する攻撃はしません。物を壊すことはあります。つまり資本主義的な物質を壊すということを通じて、資 本主義に対する抗議を表明する。それと、先ほどお話ししたように、警察の暴力が激しいので、場合によってはそうした人的な暴力にも対抗できるのだというこ とを、姿によって示しているという意味があります。実際には圧倒的な武力の差がありますから、ほとんど抵抗はできません。黒い服を着て目立たせているとい うことからも、ブラック・ブロックが象徴的な意味でつくられていることがわかります。しかし、見た目が恐いということもあって、警察からも狙い撃ちにされ るし、また運動の中からも「お前らのようなのがいるから、デモに対する弾圧が厳しくなるんだ」というような言い方が出てきてしまいます。ブラック・ブロッ クは「占拠運動の癌」だ、占拠運動がこれ以上大きな広がりを持つ、あるいは成功するためには彼らのような者がいるのは問題だという批判が運動の中から出て きてしまう(クリス・ヘッジス、https://www.commondreams.org/view/2012/02/06-3)。
もちろん、そうした批判に対して、同じように運動の中から反論が出ます。そもそも最も大きな暴力は何か。運動に対して外からしかけられる暴力ではない か。そのことを無視して暴力批判をするのはおかしいということ。また、「自分たちの運動の中にああいうのがいるのは問題だ、だからああいうのは排除しな きゃいけない」というふうに言ってしまうと、それは結局、今の社会でやっていることと同じことになる。つまり、何かを排除しなければならないという言説そのものが、運動の中に排除という暴力を呼び込んでしまうんだという反論です(デイヴィッド・グレーバー、http://nplusonemag.com/concerning-the-violent-peace-police)。 これは暴力についての、あるいは社会における排除についての、とても本質的な批判だと思います。それが今、運動の中で交わされています。ブラック・ブロッ クを批判しているのも、占拠運動に参加したり、好意的に評価したりしている人たちではあるのですが、そういう人たちですら、警察の暴力は問わず、運動参加 者の暴力だけをことさらに取り上げるマスコミの「〈アクティヴィストの暴力〉という神話」(レベッカ・ソルニット、
http://www.tomdispatch.com/post/175506/tomgram%3A_rebecca_solnit%2C_why_the_media_loves_the_violence_of_protesters_and_not_of_banks/)に毒されてしまっているのです。
もうひとつ、OWSと〈暴力〉について、ぜひお話ししたいことがあります。それは女性や性的少数者、あるいはホームレスなど、社会的マイノリティに対す る暴力の問題です。これは警察権力などとは関わりなく、運動の内部に出てきてしまう問題です。そうした問題が起こった時に、どう対処するか、どう解決して いくか。それを直接民主主義の中でなんとか道を模索しているということも、非常に興味深いところでした。私たち自身にも何か参考になるところがあるのでは ないかとも思いました。
私はニューヨークに行く前に、日本の反原発運動の中でいくつかのデモに参加していました。その中で、いろいろな人と話しをしたり、いろいろな反原発の表 現を見ていて、個人的には運動の中のジェンダーの問題がすごく気になっていました。このことは今日のテーマとは関わりがありませんから詳しくはお話ししま せんが、ふだんから疑問に思っているような性差の問題やジェンダー・バイアスなどが、反原発運動の中でも繰り返されている側面があるな、ということです。 ですから、占拠運動の中ではこうした問題はどうなっているのかなと思いながら見に行っていました。ただ、実際には私が行った短い間では、どういう問題があ るのかはあまり聞けなかったし、具体的に目にすることもありませんでした。でも、帰ってきて二週間くらいしてからでしょうか、聞くことがありました。それ は、あのズコッティ公園でレイプ事件があったということです。写真でご覧になったように狭い公園で、そこにいっぱい人がいる。しかも、ニューヨークだけ じゃなくて全米から参加者が来ていますから、たいていの人が顔見知りではない。でも、すごく雰囲気はいいんです。私のような見物客が突然行って話しかけて も、どういういきさつでここに来ているのかとか、自分たちの主張はこういうものだとか、とてもフレンドリーに話してくれます。しかし、そういう場所で、レ イプ事件が起こってしまった。
これは被害者がいることなので、もちろん被害者がどういう解決を望むかということがいちばん大事です。例えばその被害者が、加害者を警察に訴えることを 望めばそうする。ただ、自分たちのコミュニティ、ズコッティ公園の中のコミュニティを、問題が起こったときもきちんと自分たちの力で維持するという意味で は、警察権力に訴えることが全てではないわけです。被害者の中にも、そういうふうにはしたくない言う人もいる。これは、一般的に性的な暴行の被害にあった 人が公にしないで欲しいというのとはまた違ったことだと思います。そうではなくて、ここが何か新しいものを生み出す空間であるならば、自分たちの力でそれ を解決しなければならないと考えたということだと思います。
ではそういう時にどうするかということで、いろいろな形が編み出されています。女性や、性的な被害を受けてしまう危険のある人が安全に眠れるようなス ペースをつくったり、話し合いの場を持ったり。加害者が話し合いに応じない時は、非暴力的な形で加害者に対してどういうふうにしたら、それを繰り返させな いか、その方法を考えたり。そういうことを話し合いながらつくりあげていくわけです。これは本当に厳しいことだと思います。自分がもしそういう立場、被害 者であったり加害者であったりしたら、あるいは身近の、自分たちが大切だと思っている空間でそういうことが起こったら、それにどう対処するかということに きちんと向き合うのは非常に厳しいことだと思うんです(小山エミ、http://news.livedoor.com/article/detail/6023090/
ひとつVTRを見ていただきます(「オキュパイ・ウォールストリートの女たち」http://www.youtube.com/watch?v=tYTHxjIDggE)。これは主に女性が、占拠運動の中でも出てくる抑圧に対抗する方法をどうやって具体化するかという取り組みを撮ったものですが、このような取り組みは今も続いています。
こういうところにも表れているように、占拠運動ではコミュニティというものに対する意識が非常に高い。これは特にズコッティ公園が小さい場所なので、そ ういう傾向があったのかもしれません。でも、地域コミュニティという意味で言えば、今、占拠運動は全米に広がっていっています。そして、その地域コミュニ ティの中でどういうふうに運動をやっていくのかという問題が出てきています。先ほど各地域でその地域固有の課題に取り組むようになっていると言いました が、例えばニューヨークの中では、ブルックリンやハーレムという地区は貧しい人が多かったり、あるいは有色人種が多かったりしますので、ウォールストリー トとは違う、そうした固有の問題が出てくるわけです。
最初に流したVTR(「ウォール街占拠2011」)の中では、人種の問題が出てきます。運動の中で、どうしても白人の発言力が大きいというような問題は あります。それをどういうふうに解決していくか。それも時間はかかるけれど、話し合いながらやり方を模索しています。外の社会にある問題が、この占拠運動 にも現れているということなのですが、それをどういうふうに克服していくかということにも真剣に取り組んでいます。それもまた、自分たちのコミュニティを どうやってつくっていくかという強い問題意識に基づいているのだと思います。この場合、コミュニティというのは、いわゆる地域や、公園という空間的な意味 だけではなくて、人と人との関係のつくりかたの総体を指していて、それを問い直すことにもつながってきています。

〈コミュニティ〉と〈コモンズ〉

このような、空間を共有したり、物理的に何かを共有するということを超えた〈コミュニティ〉を、〈コモンズ〉と呼ぶことがあります。占拠運動では、食事 や図書や衣類、かんたんな医療など、物理的な共有が見られますが、それはもう一歩進めて考えると、怒りや悲しみ、喜び、あるいは病いなど、そういうような ものも共有することなのではないか、ということです。病いや苦しみや死という、今までは個人的な領域とされてきたものも共有していく必要があるのではない か、そういう課題に向き合っていこうとしているのではないかと思えます。これは政治的なスローガンになるような事柄ではありませんから、これが今後の占拠 運動の何かの獲得目標みたいになることはないと思いますが、彼らが目指しているもの、つくりだそうとしているものとはそういう〈コモンズ〉だという主張が あり(シルヴィア・フェデリッチ「これは再生産をめぐる闘争だ」『女たちの21世紀』第39号、2012年3月)、私もそうではないかと思います。
外の社会、自分たちが今、現実に苦しめられている社会を変えるには、単に「99パーセント」というスローガンを掲げるだけではなく、何がどこまで既存の 構造の中に取り込まれているのか、あるいは自分たちの内面にどこまでその社会が入り込んでいるかということを問う必要があります。もしかしたら単に経済的 な問題だけではなく、身体や感情まで、奪われてしまっているかもしれません。互いに議論することによって問題を解決するというのは、いろいろな難しい感情 が出てくるだろうと思いますが、それも話すことによって共有しようとすること、それを通じて新しい社会の在り方を模索してゆく。そういう方向に占拠運動は 向かって行きつつあるのではないかと思います。
そういうふうに占拠運動のことを考えた時に、実は私たちはそういう経験をもうしてるんじゃないかと、ふと思いました。震災直後の三月から四月頃など、私 たちはとても不安な状態に置かれていました。でも、同時に友情や、あるいは見知らぬ人とのあいだに突然生まれた関係などのなかに、新しいものを見いだした ような瞬間があったような気がします。震災の当日、東京では多くの人が帰宅困難に陥りました。その時に、お店を一晩中開けていてくれて、入れてくれたり、 全く知らない人と隣り合って助け合ったり、暖かい食べ物や飲み物、カイロなどをわたしてくれたり。そういうことを多くの人が経験する空間がありました。あ れが、〈コモンズ〉というものを一部形にしたような経験だったんじゃないだろうかと思っています。
アメリカの作家、レベッカ・ソルニットは、このような経験のことを「災害ユートピア」と言っています。同名の著書があります(レベッカ・ソルニット『災 害ユートピア』亜紀書房、2010年)。災害の直後というのは、みんなパニックになると思われていますが、実際には誰一人パニックにならない。本当に自然 にお互い助け合ってしまう。「恐いよね」「不安だよね」という感覚を自然に共有していく。そのような、いわゆる〈コミュニティ〉というようなしっかりした 基盤や関係はないけれども、しかし共同体的な感覚が生まれる。それを論じた本です。占拠運動が向かいつつある、あるいは実践しながらつくりだそうとしてい る、物理的なものと同時に感情的な経験も共有するような共同体――それは場合によっては、気持ちが悪い、居心地が悪いということもあるかもしれませんが ――、これまでとはちがった意味での共同体というものが、実際にどういうものなのかを想像するのに好適な本だと思いますので、機会があればお手に取ってみ てください。
(2012・3・3 planB)
*写真はすべて コピーライトhttp://occupywallst.org/

2012年3月3日

plan B定期上映会

ウォール街を占拠せよ――オキュパイ運動について私の見てきた2、3のこと
小田原 琳(大学非常勤講師)

2011年のはじめ、私たちは中東で高まりを見せていた、後に「アラブの春」と名づけられる民衆蜂起を見守っていました。3月11日以降は、この日本の社会が、世界からの注目を浴びる場となりました。それは当初は自然災害と原発事故の惨状と恐怖によるものでしたが、原発反対を訴える街頭行動が爆発したときそれに最初に注目したのも、国外のメディアでした。同じころスペインでは怒れる若者たちが広場を占拠し、ギリシャでは望みもしない借金を無理やり取り立てられることに抗議する人びとが立ちあがっていました。そして9月、ウォール街占拠が始まります。2011年とは、それぞれの場でそれぞれの理由で人びとが立ち上がり、海を越えて、たがいを共感をもって見つめてきた年でもあったのです。オキュパイ運動のはじまり、そしてそれが胚胎するものが私たちにとってどのような意味をもつのか、ほんの少しだけ見てきたことを含めてお話したいと思います。