山谷から震災・原発危機状況の福島へ

中村光男(日雇全協・山谷争議団)

仕事・住居・家族を失うこと――路上で死んでいった仲間への想い

中村 今晩は。これは被災地支援に行く時に、お金を集めるために作った最初のチラシなんで欲しい方は見て下さい。今、毎週日曜日に福島県 のいわき市に、いわゆる震災ボランティアみたいな形で行っております。最初に行ったのは4月2日です。当初はガソリンはない、電話、携帯はなかなか通じな いっていう状況の中で、被災地支援に行こうとしても行けない状況があったんですね。で、やっと4月に入ってからガソリンが手に入るっていう事で、ガソリン 何リットル積んだかなあ。見つかるとヤバイんですけども、毛布を被せてガソリンタンクを車の荷台に満載して、最初に仙台といわき市に行ってきました。
山谷、釜ヶ崎っていうのは、特にバブル崩壊っていうか93年位から仕事が全く途絶えて。この映画の中ではまだ元気な労働者が今はほとんど死んでます。ま あ99パーセント路上に出て、路上で死んでいかざるをえなかったっていうことが、この20年近くずうっと続いてるわけです。当時80年代、同じ労働者にも かかわらず、例えば元請けの労働者と一次下請けの労働者、二次下請け、三次下請け、四次下請けの労働者、末端の山谷労働者が同じ仕事をしてるのに賃金や労 働条件は全く違う。山谷地域という、ある意味、被差別空間の中に押し込められて、使い捨ての労働者として働かされていく。そういうものに対して、なんとか 山谷や釜ヶ崎の中で労働者と一緒に働きながら闘おうというふうには思ってきたんですね。ところが、90年代に入って全く仕事がなくなって、当時は本当に毎 日数百人規模でドヤ街、ドヤと言われている一泊いくらの宿舎から、バッグを片手に、みんな仲間はスポーツバッグ一つしか持ってないので、そこに作業着を詰 め込んで、ドヤからどんどんどんどん出てくるような状態でした。それで、僕らとしては、ともかく目の前の仲間の命を守らざるをえないっていう事で、80年 代の取り組みとはある意味、ガラっと変わるような形で取り組み始めたわけです。昨日まで日雇い労働者として働いてきた人間が、仕事がないっていう事で切り 捨てられて、路上で死んでいくしかないのかということで、いわゆる「反失業」とか失業に対する取り組みってのがこの10年、20年と続けてきました。
地震があった日、実は私は船橋にいました。普段だと車で45分位で帰って来れるんですけども、6時間かかりまして。その間、一番思ったのは山谷は大丈夫 だろうかという、そういう思いで帰って来たんです。仕事がなくなり、住む場所がなくなり、そして多くの家族をなくしたりする事がどんなに辛いことか、それ は路上で死んでいく仲間を通じてですね。それで、そういう時にみんなで命を支えていくっていうことが、本当にできるんだろうか。自分達としては10年、 20年やってきた取り組みの中で、どんな仲間であれ、どんな仕事をしてきた者であれ、生存を支えていく。「生存権」っていうのは、別に山谷、釜ヶ崎の労働 者だけの問題じゃなくて、全ての人間の問題だと。それこそが今問われてるっていう思いで、ともかく今「山谷圏ネットワーク」っていう形で、山谷に関わるい くつかのグループが緩やかな形のネットワークで支援活動をやっていこうというのが一つあったわけです。
もう一つ、実際4月行った時にはもう自衛隊と警察ばっかりなわけですよね。民間は全く行けない状態でした。で、そういうおクニ直轄で、上から人の命を支 えるなんてできるわけないと。アイツらが人の命について本当に真剣に考えてやったことあんのかという思いが、みんな「山谷圏」の連中は一方であって。やっ ぱり同じ境遇っていうか、寝場所も仕事も全て奪われた人々が、そこで力を合わして生き抜くような、そういう取り組みを考えていかないと、震災支援活動なん ていうのはできないでしょう。自分達のやってきたことをふまえればそういう思いが一つあったわけです。ただ、僕らは金もない、人もないんで、そのチラシに あるように当初はもういろんなところに行ったわけですね。でも、どこ行っても「社協ボランティアセンター」っていう仕組みの中で、全部役所主導なんです よ。私らみたいのが行ってもなかなか受け入れてくれない。ある意味、よそ者なわけですから、現地で知り合いがいて、受け入れてくれる団体がいて、そのつな がりの中で行かないとね。なかなか役所の仕組みの中に入り込まないとできないってのを、つくづく痛感しました。
それからやっぱり福島原発の事故ですね。まあ僕らとしては原発労働問題っていうのはほとんど取り組んでない。ここにある98年の実際に原発で働いた仲間 の聞き取りとか、そういうことを何度かはやってるんですけども。ある意味なんてのかな、クニの国策事業というか公共事業の一つみたいな、そういうとらえ方 があって。原子力があれほどの被害を及ぼす現実っていうことについて、僕ら自身もよくわかってなかったと思うんですね。当時言われてた、首都圏の電力が福 島原発によって供給されている。同時に原発のある地域は過疎地で仕事もなく、原発で働くしか地元で生きていくことはできない。そういう現実が、毎週いわき 市に行けば行くほど、普通の市民の方の口々から出てくるわけです。いわき市に行ったっていうのは日帰りで行けるんですよ。余力があんまりないんで日帰りで 行ける所があったっていう事で、それだったら一年二年継続して続けていけるだろうっていうのがあって。各地にいろいろ行ったんですけども、自分らとしては いわきにちょっと腰を据えてやっていこうというふうに今思ってます。
津波被害そのものは、いや本当にテレビで観るのと違って。例えば名取市、仙台のすぐ下ですけど、名取市に行った時はそこらじゅう黄色い旗を立ててあるん ですね。こう短い竹の先っぽに。最初、何だと思ったら遺体が発見された場所に全部こう旗を立ててる。それが無数に海岸沿いにワァーっと立ってるとか、そう いうのを現場で見てくると、やっぱりすごいな。テレビで観てるすごさってのとはまた違って、なんかうめき声が聞こえてくるような。そういう思いがもう本当 に感じられるというか。で、もともと過疎地で仕事もなくってという状態の東北地域がやられたわけですから、その風景っていうのを見て、これはもう退けない なっていう思いが、まあ行った一日目に実感としてあったんです。
いわきの方は、実は最初はもう全然受け入れてくれないんですね、役所が。どうにも何にもやれなくて。ただ地元の人と行く中で知り合うことができて。民間 の、全く役所にからんでない人達とのつながりの中で、老人ホームを一ヵ月間だけっていう限定だったんですけど借りられました。そこで鍼灸治療をやりなが ら、避難所で暮らす人達とただおしゃべりするだけなんですね。で、最初の一回目の時は、本当にみんな強ばった顔でニコリともしない。笑顔が全くない。そう いう人達の鍼灸治療をやりながら二回目、三回目でだんだん笑顔が出てきて、世間話を一緒にできるようになる。まあそういう過程をくぐって。例えば双葉町で あるとか、あの辺の福島原発の5キロ圏、10キロ圏の人達が相当数いわき市の方に避難してるんですよ。そういう実態を避難所の人達の口からひとつずつ聞く 事によって、私も「脱原発」より「反原発」っていう考えですけども、そういう話だけじゃなくて、では過疎地の中でどうやって生きていくのか、どんな仕事を 作っていくのか、どんな暮らしをしていくのかっていう、そこらも含めて考え直さなきゃいけないっていう思いが本当に強烈でした。そこは一ヵ月契約だったの で、今はいわき市の「ボランティアセンター」っていうところに、私なんかは表に出ないで、若い人を前に出して登録して、そこで毎週トラックとハイエースを 二台あるいは三台持ってって、海岸沿いの家屋のがれき片付けを毎週やってます。自分達としては、できれば地元のグループとつながりながら、役所ルートでは ない拠点を――地域の中でこぼれ落ちる避難者の方もたくさん出てくると思うんですよね。そういう方がこう集まれて、暮らしていくために支え合っていけるよ うな、いわき市内に地域の拠点をなんとか一年がかりでもいいから、地元の人達と作っていきたいなあというふうに今は考えてます。
いわき市っていうのは非常に反動的な市政で、放射能情報とかを住民の人達にほとんど流さないんですよね。福島原発から27キロ地点の末続町っていう所が あるんですけれども、そこのがれき片付けをやって欲しいというふうに言われて。27キロ地点ですから、つい一週間前までは30キロ地点は危険地域だってい う事で指定されてて、それが一週間前に福島県が安全宣言出したんですが、そこのがれきを片付けてくれって言われて。でも、いくらなんでも、ただ安全だって 言われたってこっちは納得できないじゃないですか。それで、放射能が実際どの程度出てんのか、そういうきちんとした情報は持ってるはずだから、きちんと伝 えて欲しいというふうに言ったら、全然伝えてくれないわけですよね。あなた方がやる気がないんだったら他のグループにやってもらいますっていう態度なわけ です。僕らも相当我慢をしながらやってんですけど、もうあまりにも無視するんで、とうとう「ボラセン」で活動してるみんなにちゃんと放射能の数値を公開し て明らかにしろっていう申入れ書みたいのを作って提出したんです。それが三週間前で、いつ回答が出てくるのかわかんないような、まあそういう状態です。放 射能問題どうすんのかっていう事で、反原発運動を昔からやってるいわき市の市議会議員の人がいるんですが、その人達の集まりが先週ありました。そこに行っ て来たんですけども、900人から1,000人位の若いお母さんとかお父さんとか子連れの人が集まって来てました。いわき市内で初めて放射能問題の集会が 開かれたっていう事で、質問時間になると、もう一斉にみんな手を上げて、「こういう場合はどうしたらいいんだ」っていう質問がバンバン出るわけですね。そ の集会の最後に、「いわき市民の最大のこれからの闘いは内部被曝との闘いだ」という言葉で締め括られたんですが、それは相当象徴的な言葉で、今後も続く言 葉なんだと思いました。

被曝労働――命を削り落としながら働く

それと、いわき市にいわき湯本っていう温泉街、旅館街があるんですね。そこに実は福島原発の中に入って仕事をしてる協力業者の宿舎がいくつもあるわけで す。僕らが、そういう、まあボランティア活動っていう言い方もあんまり好きじゃないんですけど、支援活動をやりながら同時に、今いろいろ話をこう拾い集め てるんですけども、協力会社っていうか下請け会社の事務所が新しく作られるっていう事で、どうもいわき湯本が拠点になって労働者を全国から集めて、そこか ら原発に送り込むシステムがいよいよ本格的に稼働するのかな、というような状況がいわき市の中で起こってます。そういう問題も含めて、いわき市民の放射能 被害の問題と、それから原発の中で働く労働者の、もう本当に劣悪な労働環境ですね。それを震災支援活動とつなぎ合わせながら、できれば地元の人達とこれか ら一年二年かけて作っていきたいなと。で、福島原発の廃炉、廃炉っていう事になると、少なくとも10年から20年かかるっていわれてます。そうすると、そ の間、原発労働に動員される人達が命を削り落とすような被曝労働をせざるをえないわけですね。
この冊子の中に、98年の時に原発労働を実際に行った野宿していたおっちゃんからの聞き取りが入ってるんですけど。いやあほんまにこの間報道されてきた 被曝労働の実態ってのは、我々も正直言ってびっくりするっていうか想像つかないほどありえない話なわけです。例えば、水が溜まってる所を長靴を履かないで 入っちゃって被曝したなんて、普通の公共工事だってありえないことですよ。僕らが普段仕事する時、こういうコンクリートを打つ時に、長靴履かないともうす ぐ肌がやけちゃいますから、長靴持ってないと現場からすぐ帰れって話になりますよ。普通の一般の公共事業でもありえない話。それから60歳で死んだ人が被 曝が原因ではなくて、持病が原因だっていうふうに報道されていましたが、それもありえないわけです。普通、公共事業でも、仕事に入る前に新人教育っていう のがあって血圧を測ったり持病があるかどうか調べて入れるんですね。それがないと仕事に就けないわけです。血圧が高い人は、もうその最初の入口ではねられ ますから。ですから、それもありえないわけですよね。
釜ヶ崎の通称Tさんっていう人がだまされて福島原発に入った。その報告も逐一全部あがってきてるんですけども、これも健康診断、働く前の健康診断は一切 やってない。それから放射能計測器をぶら下げて入るわけですけど、それを渡されたのが4日目。なおかつ放射線管理手帳も渡されてない。管理手帳にはこう毎 日毎日何時から何時まで仕事して、どの位の被曝量を受けたのかっていうのが記入されてて、それを本来労働者が持たなきゃいけないわけだけど、それが本人に は渡っていない。相談に来て、それで弁護士と一緒に追及して、やっと被曝、内部被曝の検査を柏崎の原発近くで受けることができたと。こういう文字通り命を 削り落としながら働くしかないような状況ってのが今なお続いてるんだと思うんです。私達が98年の時にやった時には、原発に行くなって言ったんですね。原 発の仕事は声かかるだろう、だけど行っちゃならんと。もうこれは完全に被曝労働が前提だし、死ぬの覚悟してそんな仕事するなっていうふうに出したんです。 しかしまあ、今、福島原発事故の終息を誰かがやらなきゃいけない。やってもらわないとこれまた大変なことになるわけですね。じゃあ誰がやるのか、やってる のかっていう事。実際に被曝労働をしているのは、東電の社員とか元請け会社の労働者ってのはわずかで、全体の被曝量の5パーセントくらい。95パーセント の被曝量は下請け労働者が被ってるわけですよ。これは今でも変わらないと思うんです。

闇に隠れた求人ルート――暴力団の存在

それとこの映画でも出てきますけれども、暴力団ルートで求人募集が行われてるっていう実態が確実にあるわけです。本当に箝口令が引かれていて、まだその 実態について本当につかめないんですけども、例えば会社の名前を書いてない、携帯番号と名前だけ書いて福島原発に行かないかっていう手配師が山谷に来たと か、あるいは寄せ場とは関係ない小金井のハローワークに仕事を探しに来てる労働者に、同じようなメモ用紙を渡して原発に行かないかっていう、そういう一次 情報はあるし。それからハローワークの公式な情報は、いまんところ北九州が一番多いんですよね。この映画に出てくる炭鉱が閉山した後、筑豊であれ北九州で あれ、当時僕らは社外工って言ってましたけども、実はほとんどが工場やあるいは建設現場の下請け労働者として動員されている。そういう仕組みが九州の中で いっぱいできあがってるんですね。そのつながりの中で原発労働の特殊のネットワークが北九州にできてるんだろうと私は思ってます。
『原発ジプシー』っていう本が70年代に出されたんですけども、そこに内田工業っていう会社の名前が出てます。その会社に今でも携帯で登録している八戸 の労働者が一日13,000円、三ヵ月の仕事だっていう事で声を掛けられて福島原発で働いた。でも、その人は五次下請けの労働者で、その会社の名前は東電 の名簿には全く出てこないんです。で、実際本人が受け取った金額は一日8,000円でしかなかった。彼はやはり暴力団が恐いので表ざたにはしたくないって 事で、それ以上は調査もできないような状態なんですけども。そういう形でポツポツとは、原発労働の情報は入ってきてます。僕らとしては今の状況で原発労働 に行くなとは言えない。8割9割は地元の人だって言われてますね、原発で働いてる人は。でも、立場は寄せ場の労働者と同じなんですよ。昔の言葉で言うと過 剰労働力、労働者としてもういらないよ、お前らは。そういう中で劣悪な労働につかざるをえない。いらないよって言われたって食うためには働くしかないん で。だから釜ヶ崎にしろ何にしろ、原発労働っていうことで金が確実に払われれば、相当数の人間が今でも行くんだと思うんですね。絶対行かないっていうふう にならない。やっぱり仕事ができないこととメシが食えないことと安心した寝場所がないことの辛さがみんな骨身にしみていて。それは福島原発の周辺の地元の 人も同じなんだろうと思うんです。過疎地で仕事がなく、そこで生きていくためには原発で働くしかないっていう現実。そういう矛盾も全部背負って働きに行か ざるをえない。
私なんかはもう相当高齢ですから実は行きたいですよ。原発の中どうなってんのか。チャンスがありゃ行きたいと思ってるんですけど。ともかく働きに行って も自分の命を守れる働き方、あるいはきちんとした、約束された賃金をしっかり取れる方法とか。それから内部被曝の影響ってのは10年後、20年後、30年 後に出てくるわけですから、働いた直後はそれこそ大量の被曝を浴びない限りそうならないわけですよね。普通の下請け労働とは違うわけですね。原発労働の特 殊性っていうか。そういう意味では、いろんなグループ、いろんな「反原発運動」や「脱原発運動」の人達とも手を組んで。例えば東電の直庸化、下請けの労働 者でもきちんと直庸化するとか。あるいは30年位のスパンで健康問題をきちんと国が責任を取らせるとか。そういうことも含めて、今後考えていければいいか なあと思ってます。
原発労働のすさまじさは、最初、海外から英雄視されて、まるで英雄だっていうような情報がどんどん流れて。一転して原発労働の物凄い劣悪な現実が今、報 道されてるわけですけども。原発労働の恐ろしいほどの劣悪さっていうのは、やっぱり東電が経営してるからなんだと思うんです。国策事業であることは確かな んだけども、国が直轄で事業を起こしてる、公共事業はあそこまではできない。民間の東電が経営母体になってるからこそ、あそこまでのひどさで今までやって きたんだろうと思うんですね。この5年位は20万、30万の原発労働者が必要だって国の方は言ってるわけですよね。原発労働者がいろんな矛盾を抱えながら 働いてるわけですから、果たして本当に相談に来てくれるかどうかっていうこともあるんですけども、まあ極端に言えば「一緒に働きに行こうぜ」位の話で、原 発労働の実態をなんとかつかんで、自分としては最後のお勤めだと思って、やっていこうかなあと思ってます。

重層的下請け制度のもとで末端の労働者が使い捨てられる

この間、例えば若い人も派遣労働の問題とか、さまざまな形で取り組み始めてるんですけども、その派遣労働と日雇い労働、これは同じ非正規ですけど雇用形 態が違う。働く形態が違う。パートという雇用形態もある。非正規でもいろんな雇用形態があって、一緒につながることが非常に難しい状態になってるわけで す、働く者同士の中で。だけども、どんな雇用形態であれ、非正規だと大体年金には入れてくれないし、社会保険も付かないし、金も安いですから貯金もできな くて、首切られるともうその場で切羽詰まっちゃう。そういう典型が「日比谷派遣村」、リーマンショックですか。あの2008年の後の時の「日比谷派遣村」 で明らかにできたことなんだと思うんです。ちょっと自慢話ですけど「日比谷派遣村」は山谷から提案した戦術なんですね、実は。「日比谷派遣村」でやった大 御所の労働組合の方々にまず一日体験で山谷の炊き出しをやってもらって、その後「日比谷派遣村」を着手したっていうふうになって。
このさまざまな雇用形態、派遣だとか短期労働もそうですね。一年短期労働とか事務職なんかは相当数多いです。その根っ子にあるシステムが請負制度、日本 の産業の重層的な下請け構造なんだというふうに思ってるんです。非正規の雇用形態の違いで働く層が違いますし、その意識の違いもあるから、それぞれがん ばってやんなきゃいけないけども、やっぱり最後は企業間の日本の請負制度と企業の重層的な下請け制度の構造そのものを変えていかないと、いつまでたっても 下請けで働く労働者は日の目を見ない。仕事が奪われるともう食っていけなくなる。住居も奪われてしまうという現実は変わらないんだと思うんです。
それで、今、失業者300万人と言われてますけども、あれはハローワークに登録した失業者が300万人であって、実際に失業してる人はもう軽く500万 を超えてる。なおかつ1750万の非正規労働者が存在してます。働く人のもう3分の2を軽く超えちゃってるわけですね。朝通勤ラッシュで出会う労働者の3 分の1以上は非正規労働者である事は確実なわけです。寄せ場はもう仕事がなくて、みんな朝の寄せ場に行っても60だとか65歳だとかそういう人達ばっかり です、今、山谷は。でも、山谷から発信したこの請負制度と重層的下請け構造のもとで働かされてる労働者への取り組み、非道な暴力と対抗して命を自分達で守 りながら、搾り取る資本、企業と闘っていくんだっていう。そういうものをどこかで誰かが担えるような母体を作らないと、今後どんどん失業者は増えていく し、非正規労働者は減るわけがないわけです。そういう中で我々の働く環境とか暮らしとかを変える力を作っていかなけりゃいけないと自分としては思っていま す。成果が出るのは、いつになるかわかんないんです。ただ福島の震災支援活動も少しずつ地元の人とのつながりができて、ほとんどの「反原発運動」のグルー プとはつながり始めてます。それから、非正規の取り組みをやってる労働組合とか、そういう人達ともつながり始めたんで、役所主導のようなやり方じゃない、 地域の中でちょっと根を張って本当にそこで原発労働問題も含めて、仕事がない中でどうやって生きていくのか。自分達なりにやれることがないか、考えていき たいと思ってるところです。


10万〜30万の労働者を吸い上げる求人ルートと利権

司会 若干時間があります。質問あるいは聞きたい事がありましたら、どなたかいらっしゃいませんか。はい。
参加者A 仕事が全然ない状況だから、原発に僕らが行けるようなルートを、原発労働、福島第一原発で働けるような状況を作って欲しいんで す、むしろ。もしそういうことで行けたらね、たとえ一日8,000円だとか、5,000円だったとしてもね、それはそれで面白いと思うんだけど。ヤクザが からんでもいいんじゃないかという気もするけど、まあ違ったルートを、地元の人が行ってるようなルート、それを作ったらどうなのかなあと思うんです。
中村 Aさんとは30年くらいの付き合い(笑い)。今考えてるのは、ヤー公から原発労働に行ったら金も貰えない。どんな被曝労働でも厭わ ないような働き方をさせるから、これは撃たなきゃいけない。だから、ここの業者はまあまあ金払いもいいし、そんなに悪い待遇じゃないからなんとか行けるん じゃないかっていうようなところまで調べられたら面白いと思ってる。
参加者A あのね、行きたいです。
中村 俺も行きたい(笑い)。ただね、ちょっと年令制限があって、Aさん。まあギリギリ入れるか入れないかの瀬戸際なんで。被曝労働って のが「反原発運動」やってる人達とか「脱原発運動」やってる人達の間でも、全然実態として明らかにされてないわけですよ。労働運動とか労働組合やってる人 達も全くわからない状態。もう本当に闇に隠されてる。労働者を吸い上げていくルートも全く闇に、本当に箝口令なんですよ。確実にヤクザがからんでんです ね。そこをどういうふうに、こう風穴開けていくかっていうことでやりたい。釜ヶ崎から行った人はだまされて行ったんだけど、前から行ってた会社なんです。 携帯電話登録してるから、「ちょっと仕事があるから行かねえか」って電話が掛かってきて、それで行ってたところなんですよね。だからだまされるとは思わな かった、本人も。あれは前田建設が元請けなんです。それと、実は新聞にも全然出てないんですけど、一次下請けが水谷建設なんです。水谷建設っていうのは皆 さん知ってるか知らないかわかんないけど、小沢一郎に金を一億だっけ、出した会社なんですよ。それがどういうわけか新聞には出ないんですよ。で、その水谷 建設本体じゃないんだけど、その水谷が金を出して作った会社なんです。それが全然出てこないのは不思議だねっていう話になってて。院内集会っていうんです か、議員集めて厚生労働省とか原発保安院とか追及しても、面白いことに民主党の議員も言いたくないっていう感じで、隠されちゃったっていう状態なんです ね。だから利権とか、相当なつながりがあるのと、暴力団がからんでるんで、相当に慎重にやらなきゃいけないんですけど。まあ10から30万の労働者を増や すってのは、物凄い勢いで全国網作んないと、旧来の闇の求人ルートだけでは絶対賄えない人数なんです。だから釜ヶ崎のような所でほころびが出るっていうこ となんだと思うんですね。その辺をちょっと調べていったら面白いと思います。それと、これは知る人ぞ知る、知らないとわからない話かもしれないけど、釜ヶ 崎に渥美、神明っていう二つの大きな飯場があるんです。渥美組と神明。これがもう10年以上前から東京進出して、全国展開してます。東京にいっぱい渥美組 の会社も飯場もあります。この渥美組が仙台にいよいよ飯場を作るっていう事で、無料の求人情報に宮城県内は8,000円、福島県内は13,000円という ような労働者募集を出していて。それで今日あたり飯場見に行ってます。旧来からある建設土木産業の末端の、いわゆる飯場を抱えてる業者がもうすでに全国的 に動き始めたと。渥美、神明ってのは飯場に抱えてる労働者が数千人ですから。そういうところはもう本当に金儲けですよね。これは会長は山口組系って、はっ きりしてんですけども。そういう形でドンドン動き始めてるということが、僕らの旧来のルートからもある程度の情報は入るんで。あと福島現地の中で相談所を 作っちゃって、そこをある意味、駆け込み寺にして。まあそういうところで少し始めたら面白いかなと。ただ僕らは全然力ないんで、手足もないし金もないん で。ネットワークっていうか、まあ今、流行りなんですけれど、個人参加でそういう事に興味がある、やってみたいっていう人をドンドン引き入れるような母体 を作ってやってみようというようなイメージです。また面白い事があったら報告したいですね。Aさんもぜひ。
参加者A やろうか(笑い)。
参加者B 先程、釜ヶ崎から福島に送られたTさんのお話ですけど、現地で働いてる人が8割9割で、残りの一割二割は釜ヶ崎からなのか、そ れとも全国の飯場のような所から手配師が手配してくるのかということがひとつ、もうひとつはその現地で働く人は過疎地で仕事がない人という話でしたけれど も、そこには手配師などのそういう人達を集めるような独自の仕組みというのがあるのかどうか、もしおわかりでしたら教えていただきたいんですけど。
中村 釜ヶ崎に求人が来たっていうのは、はっきり言うと異例中の異例だと思います。先程言ったように前田、水谷のグループは旧来からある 釜ヶ崎求人ルートなんです。ただ前田建設、水谷建設は福島原発の仕事をやってますし、原発の仕事に相当かんでますから、原発を作ったり原発が稼働する前 に、そういう仕事は結構、旧来寄せ場から出てたんです。だけど作った後、内部に入って被曝労働するっていうのは全く別のルートができてるっていうことで。 そこからは基本的に釜ヶ崎は外れてんじゃないかと思う。ただ今4,000人は軽く超えてますから、福島原発で働いてる人は。これはもう圧倒的に足らないわ けです。そういう中で急遽っていう事だと思いますね。でも、あの問題が起きて、釜ヶ崎では一切原発の求人はない、もう全くない。完全に闇に入っちゃった。 それで現地の人達が言うには、これは聞いた話ですけど、4軒に一軒は原発関連の仕事をしてると。まあ町で4軒家があったらその内一軒は原発関連の仕事。そ れくらい原発労働に頼ってると。この近所の小さな工務店が福島原発専門の仕事に入ってるようなもんなんですよ。だから放射能の問題とか何も知らない、ほと んど何もわからない人が下請けで働いてる。地元の人はそこらにいるおっさん、にいちゃん、ねえちゃんが普通に今までそれこそ安全神話の中で働いてて、その 人達が事故後もそれしか仕事がないから被曝覚悟で働かざるをえないってのが実情なんだと思いますよ。だから人災って言うけど、正直に言うとあそこまでなる とは誰も予想してなかったでしょ。そういう意味では自分達もある種無関心だったし。被曝労働っていうのが深刻な問題だとは思わなかったし。原発が事故った ら何十万とか、あの福島、郡山60キロ離れてるわけですから、あの一帯が農業も漁業も工場もほとんど全滅っていうほどの被害になるっていうのは僕ら自身も 考えてこなかったと思うんですね。なんていうかなあ、うーん、できてこなかったことがたくさんあったなと。下請けでね、動員されて声を出せない。もう明ら かに被曝してるのわかってるのに、本人達が一番わかってるわけじゃないですか。でも声を上げられない労働者が、まあ今4,000人って言われてますけど、 これが30万人って形でこの5年後作られると思うと、俺達は今まで何をやってきたんだっていう思いがありますよ。まあそんなところでみんなが少しそれぞれ のやれる事でつながっていければいいんじゃないのかなって思ってます。

全国から原発労働者がかり集められる

参加者C 原発労働の問題なんですけど、釜ヶ崎などから東北に持っていかれる人っていうのは手配師が中心であって、例えばグッドウィルとかフルキャストとか、そういう派遣から東北に送られるっていう方はいるんでしょうか。
中村 一時、清掃会社が求人募集を出してましたよ。清掃っていう事で。それは旧来、特に70年代、80年代までは物凄くいっぱいあったら しいですね。ビルメンテナンスの清掃ですね。そういう業者が五次下請け、六次下請けくらいに入って。もう亡くなっちゃったんですけど、新宿で野宿してた マッチャンっていう人が自分の原発労働の体験を話してくれました。ようするに雑巾で床拭くんですよ。それが除染、放射能を拭く。そういう仕事の仕方で当時 はやられてた。これはまだ90年代ですよ、彼が行ったのは。電工、配管工、それからコンクリートの穴を開ける仕事、それは何かというと配管を壁突き抜けて 外に這わせてという仕事があったらしくて、そういう具体的な職人を中心にして呼ばれてる。釜ヶ崎のTさんはもともとはトラックの運転手とか重機の運転もで きる方だったんですが、実際やったのは注水作業だって言ってましたけども。今はそれほどじゃないけど、がれき片付けの段階になったら、普通にこの辺で土方 工事やってるおっちゃん連中とか、それこそ派遣で働いてる人達が使われる。フルキャストが派遣やめて下請け会社になった、請け負い会社に衣替えして、また 求人募集やってんですね。そういう所がドンドン連れて行く可能性はあるんじゃないかと思います。まるっきり機械ではできない状況も出てくるんで。もうひと つは福島だけじゃなくて、ここまで被害が大きくなって、「脱原発」「反原発」って声が大きくなると、今ストップしてる原発がいっぱいあるじゃないですか。 普段は労働者は少ないんですけど、定期点検の時にワァーっと人を入れて点検作業をやるわけです。その時に被曝するんですね。その仕事が福島だけじゃなく、 今後圧倒的に増えていくんで、原発労働者が全国からかり集められるんじゃないかと思ってます。今んところ労働組合の動きはほとんどない状態ですが、なんと か気運を高めて原発労働の特殊性、被曝労働っていう特殊性をとらえて、それと先程言った請負制度、重層的下請け制度の中で末端の労働者が使い捨てられてい る状況を変えないと、日本の働く環境はいつまでたってもよくならず、それどころかますます悪くなる一方なんじゃないか。そういう二つの観点からいろんな方 と協力関係を作れたらいいなと思ってます。

労働者が声を上げてこそ従属的構造が変わる

参加者D 環境を変えるというような話をずうっとされてると思うんです。今までは、原発であれば国と地方自治体の政治的な取引とかがあっ て誘致されてるような側面があって、それが民間に落とされ、その中で重層的な構造ができあがってるのかなって想像するんです。今回の復興に関しても、原発 以外の部分でも、例えば漁業に民間が入ってくるかもしれない。経済特区みたいなものを設けていくかもしれない。結局はそれも国、自治体がからんで全体の構 造を作りながら、それを民間が受けていくっていう形になるんじゃないか。仙台にも新しいドヤができるって話ですが、結局また同じようなことが繰り返されそ うで、その重層的な構造を変えるのもなかなか難しいのではと想像してしまうのですが。結局どういう部分を変えていかなきゃいけないのか。今の話を総括して 聞くと、まずはその請け負ってる業者がいいのか悪いのか、そういう所を丹念に調査していくことが必要なのかなと、ちょっと考えたんですけれども。そのあた りは具体的にはどういう所から突っ込んでいくのでしょうか。

中村 特に原発労働については闇に閉ざされちゃってんで、調査っていう部分が物凄く大きいわけです。「俺、原発で働いてて、なんとかして くれ」みたいな相談はまあ滅多にあるわけじゃないけども、もし出た時に引き受ける場がなければしょうがないんで、そういった場を設けて、そういう相談など を通じてコツコツ調べていくしかないってことがある。もうひとつは「派遣村」とか「派遣法」の問題が一時大きく、労働組合なんかが取り上げて、「派遣法」 の抜本改正という形でやってきました。ただやっぱり根っ子は下請け制度や企業の重層下請け、従属的な構造を変えないと、派遣労働者に対する何の改善にもな らないってことですね。大きな労働組合、「連合」だとか「全労連」だとか「全労協」の人達は、「派遣法」抜本改正をやってきたんだけど、もうそれだけでは どうにもならない時代に来ちゃってんじゃないか。その視点なの。ただ僕らは本当に数人のグループですよ。普通の労働組合と違うのは、一緒に働きながらやろ うっていうふうにやってきたんですね。普通の大きな労働組合っていうのは一緒に働くってことはないんですよ。労働組合から給料もらって、常に相談を受ける 側で。相談に来た人を指導する指導員みたいな人ばっかりじゃないですか。でも、そういうんじゃないやり方を広めていかないと労働者は来ないんじゃないか なって気がすんだよね。労働者が声上げなきゃどうにもできないことだから。いくら大きい労働組合だといったって、労働者が声上げない事には何の力にもなら ない。で、声を上げられない仕組みを変えていくっていう事と、労働者の中に入って実態調べをする。やっぱり労働者と一緒に声を上げるみたいな事を考えてい かないと変わんないんだろうなあと。これは、あなたが言うようにそんなことできるかって言われればその通りで。ただ我々としては、夢がないとやってられな いんで。どっかで、ちょっとした風穴でも開けられれば。まあ僕らはもう年なんで、できればそういうことを考えていく若い人達、あるいは新しい母体になるよ うな所につなげていければいいかなあと。僕らはまあ触媒みたいなもんですよ。主役にはなれない。主役になるのは若い人達です。新しくやって下さいってやつ です。で、自分らはこういうことをやってきたんだけど、みんなはどう思うっていう話。だけど、全国に誰でも入れる「非正規ユニオン」「コミニュティーユニ オン」がもう何百とあるんだけど、なかなか力を付けられない。そういう所がもうちょっと力を付けていけるようなことを考えていかないと。「連合」、共産党 系の「全労連」それからちょっと左系の「全労協」って大手の労働組合あるんですけれど、そういうんじゃなくて一人でも入れる「コミニュティーユニオン」み たいな小さいんだけどそういう所が協力しあって、お互いに力を強くして。もっと一緒に働いたり、働いた仲間が立ち寄っていけるような、そういうのを作って いかないと、本当に力付けられないんじゃないかなという感じはしてます。まあ夢みたいなもんですよ。そうじゃないと誰しも20年30年っていうのは難しい 話で。ただ、殺された山岡さんとか佐藤さんもそうですけど、これだけは引けないっていう所がみんなあって。できるかできないかはわかんないけど、これだけ はやっていこうと。それをできるだけ若い人に引き継いでいってもらえれば、本当に最高だっていうことです。
参加者E 活動されている中で、「反原発団体」の方とか、いろんなネットワークから被曝労働の現状や情報を手に入れられてるという話をさ れてたんですけど、そういった今後の情報共有についてどう考えておられるのかと。こういう場を設けることもそうですし、単純に僕が思ったのはインターネッ トとかを使って、今ユーストリームというサービスとかで個人がパソコンを持って行ったり、ネットに接続できる環境があれば、今日の講演もネットで放送がで きるんですよね。そういうのを利用するっていうのもひとつだと思うんですけど。あとはそのリスクですね。先程の映画も媒体をつくることによって殺されてし まったという歴史もありますし。今後もそういうリスクは伴うと思うんですけど、その二点はどうお考えなのか。
中村 うーん、まずリスクの方ですけど、それはあんまり考えたことはない。リスクはいつでも吹き飛ばせみたいな感じでねえ。それと私の世 代はアナログ世代なんで、私、全然駄目なんで。だからこそ若い人に入ってもらって、やってもらうしかないわけ。人間誰しも完全な人っていないじゃないです か。まあ私なんかは悪いところだらけなんですが、みんないいところがあるから、それぞれが補い合ってひとつの事をやれればいいんじゃないかな。ただ、今は 原発労働の問題についてはいろんな人達が取り組み始めてるんで、そのネットワークでそのうち情報は流されていくと思いますよ。ちょっと専門的な内容なんで すけども、「被曝労働マニュアル」っていうのを今仲間が準備してます。どういう構造になってて、どういう事に気を付けなきゃいけないのかっていう、原発に 行く時の注意ですよね。来月の初めには出ると思います。その辺から少しずつみんなに伝えていければと考えてます。
司会 時間も押してるんで、この場はここで。中村光男さんでした。ありがとうございました。それから、ちょっとここでは話し辛い、直接中村さんに聞きた い、あるいは映画の事について話したいという人は、隣の部屋にお酒や飲み物を用意してありますので、時間がある人はどうぞ残ってください。
(2011/6/25 planB)

2011年6月25日

plan B定期上映会

山谷から震災・原発危機状況の福島へ
中村光男(日雇全協・山谷争議団)

現在続けている被災地支援の内容と、原発および被曝労働者を巡る問題を、中村光男さんが得ている最新の情報をもとに、山谷と関連づけてお話しいただきます。
原発労働が土建と同じ重層的下請労働で行われている問題と、声を出せなくされている状況について。山谷の差別抑圧構造が世間から伏せられたまま経済成長が語られていたことと、被曝労働者の現実を隠蔽しながらエネルギー像が語られ大量のエネルギー消費が進められてきたことについて。そして、今の取り組みとしての被曝労働自己防衛マニュアルを用いた被曝労働者への取り組みについて、それぞれお話しいただきます。