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佐藤満夫・山岡強一監督作品

ドキュメンタリーフィルム / 16mmカラー / 110分 / 1985年

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  映画では腹は膨れないが敵への憎悪をかきたてることはできる    -佐藤満夫
  カメラは常に民衆の前で解体されていく   これが本当のドキュメントだと思う   -山岡強一

この映画の冒頭では、次のような字幕が、山谷地区の遠景を背景にして映し出されます。
「1983年11月3日 日本国粋会金町一家西戸組が日の丸を掲げ山谷争議団に対し 武装襲撃をかけた。 以来、一年余に及び闘いが繰り広げられた」

日雇労働者の街山谷の労働者を、日の丸の下で一元的に支配・管理しようとする右翼暴力団の試みでした。「山谷越冬闘争を支援する有志の会」に所属してい た佐藤満夫監督は、1984年12月に文字通り山谷のど真中にカメラを据えて、山谷労働者の姿を正面から撮影するドキュメンタリー映画制作の作業に取りかかります。ところが、映画がクランクインしてまだ1か月もたたない1984年12月22日早朝、佐藤満夫監督は、日本国粋会金町一家西戸組組員の凶刃に斃 れます。冒頭の字幕に続いて、映画に登場するのが、山谷の路上に倒れた、微かにまだ息のある佐藤満夫監督自身の姿でした。映画の物語を組み立てる当の監督が映画の冒頭から倒れている。これは、通例、物語の終了を意味します。しかし、この映画では、むしろ物語の始まりとなっています。

佐藤満夫監督の断ち切られたフィルムが残されました。翌年1985年2月3日におこなわれた『佐藤満夫さん虐殺弾劾! 右翼テロ一掃! 山谷と全国を結ぶ人民葬』で、佐藤満夫監督が殺されてから一年の間に映画を完成することが、参集した人々の前で約束されました。ここに断ち切られたフィルムを繋れまし た。「カメラは常に民衆の前で解体されていく-これが本当のドキュメントだと思う」とは、山岡強一監督が、この映画の上映運動に託した言葉です。山岡強一 監督は、山谷で始まって山谷で終わる強固な円環を打ち破る中味は何かという問いかけを上映運動に託し、この試みは現在なお継続しています。


次回上映    

山谷解放運動の黎明期 梶大介・満里子とその時代
              トーク : 小美濃 彰 (東京外国語大学特任研究員)

今回の〈ミニトーク〉は、1960年代初期からの山谷での運動に注目し、梶大介と梶満里子の活動に焦点を当てていきたい。
梶大介は、1957年に『バタヤ物語』を書いて〈ばた屋〉の世界を世に知らしめ、ばた屋の協同組合結成を目指すなど都市貧民居住地域の活動家であった。そうした敗戦・混乱期の「最下層の系譜」の時代をたどり、連れ合いの満里子とともに活動の拠点を山谷に移したのは1963年の暮れだった。その時の山谷は、59年10月の第一次暴動を皮切りに連続する寄せ場叛乱=暴動の時代であった。
梶は、それまでの失業対策事業や生活保護を中心とした「上からの救済活動」に異を唱え「日雇労働者を主体にした運動」を目指し、満里子も、家族世帯の山谷からの「脱出」を進める行政の「山谷対策」に抗して、地域内で「ドヤっ子」の保育活動の実践を試みた。
梶たちが68年に結成した山谷解放委員会の活動は、船本洲治ら広大グループを山谷に引き寄せる契機ともなったが、その後に現場闘争を押し進めようとする船本たちに徹底的に批判されることになる。──今回は若手気鋭の小美濃(おみの)さんを招いて、いわば山谷解放運動の黎明期ともいえる60年代における梶たちの諸実践をあらためて振り返り、流動的下層労働者解放の可能性の萌芽として批判的にひらいていきたいと思っています。ぜひ、ご参集のほどを。

2025年9月27日(土)

◎ 2:15pm開場  2:30pm上映 

『山谷 やま 
やられたらやりかえせ』
ドキュメンタリー・フィルム 16ミリカラー/110分
監督:佐藤満夫、山岡強一

4:30pm頃からトークイン

会場 : シネマハウス大塚
    豊島区巣鴨 4-7-4-101 (折戸通り 都立文京高校正門前)
・JR「大塚」駅北口より徒歩7分 ・都電「巣鴨新田」より徒歩3分  

予約●1000円 当日●1200円

◆ お問合せ :  komi-ko3@jc.ejnet.ne.jp
TEL : 090-3530-6113  (小見)
当サイト内「予約・お問い合わせ」

 

 


お知らせ

我が上映委、最古参の小見憲による小説『泪橋から「世界」がみえる ー日雇い探偵ヒガシの事件ノート』をアップしておきました。
ぜひ御一読ください。

泪橋から「世界」がみえる 第一部
泪橋から「世界」がみえる 第二部
泪橋から「世界」がみえる 第三部
泪橋から「世界」がみえる 第四部